胃ろうは悪者?延命治療?胃ろうについて伝えたいこと。

胃ろうは延命治療ですか?

皆さんは【胃ろう】に対してどのようなイメージを持っていますか?

人生お終いだわ

絶対にやりたくない

そこまでして生きたくない

こんな声が世間からは聞こえてくるように思います。

実際、私も昔はそう思っていましたし、元気な時は誰しもがそう思うことでしょう。

多くの人が、産まれてからずっと、口から食べることが当たり前の人生を送っているのですから、仕方のないことです。

しかし、だからと言って、

口から食べられないない…
もう人生終わった…

というのは少し極端な考え方ではなかろうかとも思います。

胃ろうへの批判的な意見が多い中でも、胃ろうによって豊かな人生を送ることが出来ている人も実際にいます。

今回は、様々な視点から胃ろうを捉えてもらえてもらえればと思い、母の胃ろう生活を振り返りながら私の考えをまとめてみようと思います。

胃ろうの決断を迫られる時

胃ろうにするか選択を迫られる場面というのは、多くの方が、本人が死の淵をさ迷っているよう状況をイメージすると思います。

また、家族側の一方的な感情によって無理やり命を繋ぎとめる、そんなイメージを持たれている方も多いと思います。

でも、胃ろうに関して言えば、現実では皆さんが考えるような場面は、そこまで多くないのではないかと思います。

むしろ、「自分はこれから胃ろうをして生きていくんだ」と本人が認識しているケースが大半ではないでしょうか。

一応、胃ろうを造設するには条件があり、「胃ろうが効果的である」という医学的な指標?みたいなものが必要です。

なので、どんな状態でも家族の意志によって胃ろうが造設できるというわけでもありません。

母も、当然悩みはしましたが、母自らが胃ろうを決断しました。

もちろん、胃ろうありきで話を進めたわけではなく、胃ろうをしない選択肢もありました。

しかし、胃ろうにしてくれたおかげで今のような穏やかな在宅介護が実現しているのも事実です。

鼻からの経管栄養を継続していた場合、そもそも在宅介護すら難しかったと思います。

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胃瘻にして良かったこと

では、実際、どんな時に胃ろうにしてよかったと感じたかをまとめてみようと思います。

誤嚥性肺炎のリスクを軽減できる

自分の唾液や痰でも誤嚥性肺炎は起きます。

経口摂取をしないからと言って、肺炎のリスクをゼロにすることはできません。

それでも、低下した嚥下機能のまま経口摂取を継続するよりは、危険因子を排除することが出来ます。

身体的負担を軽減できる

母は、入院当初は経鼻栄養という鼻から胃にチューブを通す方法で食事を摂っていました。

しかし、この経鼻栄養は人によっては苦痛を伴うのです。

ずっと鼻にチューブが入っているわけですから、そもそも不快なのは想像できますよね?

でも、それだけではありません。

経鼻栄養は、注入する栄養剤が確実に胃に入るように、チューブの先端が胃の正しい位置になければいけないのですが、何らかの拍子にズレてしまうことがあります。

ズレたまま栄養剤を流してしまうと、肺などに誤注入され、最悪の場合、死に至る重大事故へと繋がる危険性があります。

そのため、ズレてしまった場合は、その度に挿入し直さないといけないのです。

そして、この挿し直しが、本人にとっては苦痛以外の何物でもありません。

どれくらい苦痛かというと…

インフルエンザやコロナの検査で鼻に綿棒を指して検査したことがあると思います。

あの綿棒よりもはるかに太いチューブを麻酔なしで鼻からグリグリと通していきます。

それを、四六時中挿しっぱなしであることを考えてもらえれば、どれだけの苦痛か理解いただけるかと思います。

私もその様子を間近で見たことがありましたが、挿入の痛みに耐えられず泣きながら抵抗する母の姿に心苦しくなり、思わず目を背けたくなるほどでした。

医療的に必要なことであっても、苦痛の時間が頻繫に生じれば、それだけで生きる力を奪っていきます。

家族としても、泣いて苦しむ姿を何度も見たくはありません。

その点、胃ろうはチューブ交換の痛みもなく、ズレるといった心配もないので心身および精神的な苦痛を軽減できると思います。(自己抜去のリスクは変わらずあります)

水分調整がしやすい

特に夏場は、熱中症予防のために、とにかく一口でも多くの水分を飲んで欲しいものですが、高齢者の方は水分の摂取量が少なくなりがちです。

単に「飲んでね」と言うだけでは飲んではくれないし、ペットボトルやコップを口元に運んだところで、「要らないよ」と拒否されることも多いでしょう。

その点、胃ろうならば、半ば強制的に水分を入れられることは、とても大きなメリットだと感じます。

食事の準備がない

嚥下機能が低下した方の食事の用意には、細心の注意が必要で時間も手間もかかります。

作って終わり、でもなく、場合によっては食事介助も必要です。

食事介助は、窒息や誤嚥性肺炎のリスクもあり、適切な量を、適切なペースで、安全に食べさせる必要があります。

食事は、毎日のことで日常に密接したものなので、割と軽視されがちですが、介護の中でもとても大きな責任を伴うものだと感じています。

そして、その責任は、料理を作る女性一人だけに重くのしかかってしまっている現実があります。

毎日、毎食作る側のプレッシャーも相当なものです。

その点、胃ろうだと食事を作る必要も、食べさせる必要もないので、私の負担が大幅に軽減されています。

胃ろうの栄養剤は、保険適用のものであれば健康保険が利用できるので、”食費”としての負担も軽減することが出来ています。(保険適用外の製品もあります)

経口摂取は出来ない?

胃ろうにしたら、もう口からは食べられないんでしょ?

そう思っている方もいるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

胃ろうでも、経口摂取は可能です。

口から栄養が十分に摂れるようになれば、胃ろうを止めることも出来ます。

ただ、絶対にしてはいけないのが、勝手に食べる/食べさせること。

どの程度の経口摂取なら可能なのか、嚥下機能の状態を医師などに定期的にチェックしてもらうことが必要です。

経口摂取のリハビリが必要な場合もあるでしょう。

経口摂取をする場合は、口腔ケアもより大切になってきます。

また、入歯を使用する場合は、経口摂取をせずに数か月経っていると、入歯が合わなくなっていることもあるそうですので、歯科などで入歯のメンテナンスが必要なケースもあるかもしれませんので、ご注意下さい。

食の楽しみ方

食事に関して、私は母に大切なことを教えてもらいました。

それは、

食事の楽しみ方は
口から食べることだけではない

ということです。

例えば、餃子や焼き魚、カレーなどの香りが楽しめる料理は、嗅覚で食を感じることが出来ます。

包丁で食材を切る音や、フライパンで炒める音など、聴覚でも感じられます。

子供の誕生日やクリスマスには、ケーキや豪華な料理を見て視覚で楽しむことも出来ます。

手が動く方なら、皮をむいたり、混ぜるなどの簡単な調理を通して触覚でも食と関われます。

このように、人間に備わっている「五感」を通して、食を楽しむことも十分に出来るのではないかと思っています。

もちろん、それで実際にお腹が膨れるわけではありません。

当事者の前で見せびらかすように食べることは控えた方がいいでしょう。

でも、楽しそうに食べている姿は、
それだけで人を幸せにする、とも思います。

胃ろうは「悪」ですか?

おそらく、日本国民のほとんどが

胃ろう = 悪

という認識を持っているのではないかと思います。

胃ろうなんてかわいそう

胃ろうは虐待だ!

そんな意見も聞かれますが、批判的な方、暗いイメージを持っている方にお聞きしたいことがあります。

実際に、胃ろうの生活している人を見たことがありますか?

実際に、胃ろうの生活を送るご本人に、気持ちを聞いたことがありますか?

多くの方は、「いいえ」だと思います。

最近は核家族化が進み、高齢者が身近にいない生活も当たり前になっています。

実際は、何も知らないのに「なんとなく、そうなんでしょ?」というレベルの思い込みだったりするのではないかと思います。

そのなんとなくのフワッとした思い込みが、当事者に胃ろうへの決断を鈍らせてしまったり、ご家族が罪悪感を感じてしまったりと、結果的に誰かを傷つけ、追い込んでいるかもしれないのです。

そしてもう一つ、お聞きします。

口から食べ続けられることは、
絶対に幸せですか?

多くの方は、「はい」と答えるでしょう。

これも実際はそんなことはありません。

私の母は、経口摂取のリハビリが本当に嫌そうでした。

脳出血の後遺症で、味覚もあまり感じなくなり、嚥下機能も低下したことが理由にあります。

食べ物を口に含んでも美味しいと思えないし、飲み込むのも一苦労。

本当は食べたくないけど、リハビリだから仕方なく食べる、そして食べた後に嘔吐する

そんな毎日に、次第に母は精神的に落ち込み表情が暗くなっていきました。

最終的に、経口摂取の改善が見られないので、胃ろうを造設。

経口リハも終了し、「もう口から食べなくていいよ」と伝えた時の母のホッとした顔が印象的で、今でもよく覚えています。

この時の母にとって、
口から食べることは苦痛
でしかなかったのです。

口から食べない生き方が、
生きやすさに繋がることもある

母を通して、そんな新しい視点を持つことが出来るようになりました。

その思考は誰視点?

口から食べられなくなった

その部分にだけ着目すると、
それはかわいそうなことで、

再び食べられるようになることが
本人にとって一番良いこと

そう思えます。

しかし、本当に大切なことは、

「本人が再び食べれるように
なりたいと思っているか」

ではないでしょうか。

また口から食べれるようになったら

嬉しいでしょ?

という考えは、時に善意の押し付けになっていることさえあるのではないかと思うのです。

そして、無意識にもそう考えてしまう要因の一つに、

「胃ろうにだけはなって欲しくない」

そんな思考がどこかに潜んでいるのではないかな、と思ったりもします。

もちろん、口から食べられることは幸せなことです。

それは、間違いない。

後遺症で失った機能が、リハビリで改善することも素晴らしいことです。

しかし、それが全てでもありません。

食べられない=可哀そう

再び食べられる=幸せ

その思考は、食べられる人が中心に置かれた、あまりにも偏った考え方なのかもしれないと、母を見ていると感じます。

それに、胃ろうは高齢者だけがするものではありません。

若い方や子供でも、様々な病気や体質などで、十分な経口摂取が難しい場合にも胃ろうが検討されます。

また、医師はやみくもに胃ろうを提案しているわけでもなく、医学的な側面から考えてのことです。

自分のイメージだけで、医師からの提案を「即お断り」するのではなく、胃ろうにした後の生活をイメージしながら総合的に考えて判断してほしいなと思います。

胃瘻に対する私の考え

私は、胃瘻には賛成も反対もしません。

老衰で体が食べ物を受付けなくなった状態での胃瘻については、正直、思うところはあります。

でも、口から食べられないだけで、体はまだ生きようとしているのであれば、胃瘻は悪ではなく、むしろ救世主だと思います。

実際に母と暮らしてみて、悪いイメージは一切感じません。

母に限って言えば、胃ろうにして良かったと本当に思っています。

食卓を囲む家族を見る母の表情は、いつも穏やかです。

母は胃ろうにしたことで、孫である私の娘と幸せな時間を過ごすことが出来ています。

孫と過ごす時間、家族で過ごす時間は、胃ろうが母の命を繋げてくれているお陰です。

みなさんも、胃ろうの選択を迫られた時に、『もう食べられないのか…』と絶望するだけではなく、

胃瘻が叶えてくれる生活

を想像してみてから結論をだしても遅くないんじゃないかな…と思います。

最後に、皆さんにお尋ねします。

胃ろうは
延命治療だと思いますか?

私は、「胃ろう」そのものは、一般的に考えられている「延命治療」には当たらないと考えています。

食事の方法の一つ、それだけだと思っているからです。

しかし、命を未来へ繋ぐという意味で捉えれば「延命治療」だとも思います。

生きたい。

孫の成長する姿が見たい。

母の願いは、ただそれだけでした。

苦悩と葛藤の末の決断。

母にとっては、酷な選択だったと思います。

それでも、これからの自分の人生をどう生きていくか、自らの意志で決めた母を、私はとても強い人だと思っていますし、誇りに思います。

家族の自己満足のための胃ろう

ではなく

本人が豊かに生きるための胃ろう

そんな考え方が広がっていくといいなと思います。

最後に…

経済産業省主催「OPEN CARE PROJECT AWARD」の個人エピソード部門に、この胃ろうへの考え方やダブルケアへの想いを綴り応募しましたところ、入賞することが出来ました。

部門賞の方々のアイデア、そこに至るまでのエピソードはどれも素晴らしいものです。

ぜひご覧になってみて下さい。
※私のエピソードや写真は記載されておりません。

OPEN CARE PROJECT AWARD 2023 (METI/経済産業省)

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