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複数のケアを同時に担う状態
を表します。

「親の介護と子育て」
を同時に担う状態を表す言葉として
特によく使われていますが

「家族の闘病と子育て」
「自分の闘病と子育て」
「義理の親と自分の親の介護」など
ダブルケアの定義やカタチは様々です。

「親の介護 + 子育て + 自分の闘病」
等のトリプルケアというケースもあります。

また、ダブルケアにおける
「介護」は身体介護だけではありません。

↓のような身の回りのお世話も含まれます。

もし明日、ダブルケアになったら…

仕事は続けられるでしょうか?
ケアを担える人は身内に何人いますか?
メインのケアは誰が担いますか?
親は介護費用を用意していますか?

ダブルケアは誰にでも起こり得ることです。

介護が必要になってから考えるのではなく、介護を見据えて前もって家族で話し合っておくことが大切です。

元気な時だからこそ出来ることがある。
元気な時にしか出来ないこともある。

大切な家族のために「今」出来ることを。

特定の法人・政治団体・その他団体等との
営利関係は一切ございません。

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以前から思っていたことですが、ダブルケアが子供に与える影響ってかなりのものだと私は思っています。

例えば、介護によってケアを担う人(主に母親)の疲れやストレスが溜まり、これまでより笑顔が減ったり、怒りっぽくなったりすることがあります。

これは、仕方の無いことです。
いつでも天使のような微笑みを浮かべて介護なんて出来ませんから。

でも、ケアラー自身がそう割り切って過ごしていたとしても、子供は違うかもしれないのです。

子供は、無意識に、介護が必要な高齢者に対して

「ママを悲しませる人」とか

「おじいちゃんおばあちゃんのせいでママが大変そう」

みたいに敵対視してしまうことがあるのではないかと思っています。

孫と祖父母の関係はもともとは良かったのにそこに亀裂が入り崩れてしまったり、

認知症による暴言や被害妄想的なことを毎日聞いてい ると、家に居ずらく感じてしまったり

親に余計な心配をかけまいと悩みを一人で抱えて無理 してしまったり。

認知症という病気で悪気がないことをわかっていたとしても、小さな心と体でその全てを消化するのはきっと難しいでしょう。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

ケアラーへの支援は、今後、絶対的に必要です。

それと同時に「子供」に対する支援、 ケアも必要なんじゃないかと思っています。

これは ヤングケアラーかどうかではなく、純粋に、
介護がある家で育つ子供への支援、
介護をする親を見て育つ子供の心のケア、

という視点・観点も必要になってくるように思います。

甘えたい時に甘えられなかったり

愛を感じられなかったり

自分の気持ちを聞いてくれる人がいなかったり

そのような環境が当たり前な中で成長すると
仮に世間的には問題がなくても

人に頼ることが苦手だったり
SOSが出せなかったり

心に何かしらの影響を持ったまま成長してしまうような気がします。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「自分の子供なんだから、ケアラーがしっかり子供のケアまでしなさい。」⁡
⁡⁡
⁡ という意見はごもっともですが、それが出来ない、難しいのがダブルケアです。⁡
⁡⁡
それだけダブルケアは、負担が大きいのです。

介護は各家庭の中で起きることですが、その小さな歪みを放置すれば、あっという間に社会全体へ広がってしまうように思います。

要介護者の生活を守るのはもちろんのこと、

ケアを担う人と

ケアを担う人のそばで育つ子供も

守っていけるような対策がされていくといいなと思います。

#ダブルケア
以前から思っていたことですが、ダブルケアが子供に与える影響ってかなりのものだと私は思っています。 例えば、介護によってケアを担う人(主に母親)の疲れやストレスが溜まり、これまでより笑顔が減ったり、怒りっぽくなったりすることがあります。 これは、仕方の無いことです。 いつでも天使のような微笑みを浮かべて介護なんて出来ませんから。 でも、ケアラー自身がそう割り切って過ごしていたとしても、子供は違うかもしれないのです。 子供は、無意識に、介護が必要な高齢者に対して 「ママを悲しませる人」とか 「おじいちゃんおばあちゃんのせいでママが大変そう」 みたいに敵対視してしまうことがあるのではないかと思っています。 孫と祖父母の関係はもともとは良かったのにそこに亀裂が入り崩れてしまったり、 認知症による暴言や被害妄想的なことを毎日聞いてい ると、家に居ずらく感じてしまったり 親に余計な心配をかけまいと悩みを一人で抱えて無理 してしまったり。 認知症という病気で悪気がないことをわかっていたとしても、小さな心と体でその全てを消化するのはきっと難しいでしょう。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ケアラーへの支援は、今後、絶対的に必要です。 それと同時に「子供」に対する支援、 ケアも必要なんじゃないかと思っています。 これは ヤングケアラーかどうかではなく、純粋に、 介護がある家で育つ子供への支援、 介護をする親を見て育つ子供の心のケア、 という視点・観点も必要になってくるように思います。 甘えたい時に甘えられなかったり 愛を感じられなかったり 自分の気持ちを聞いてくれる人がいなかったり そのような環境が当たり前な中で成長すると 仮に世間的には問題がなくても 人に頼ることが苦手だったり SOSが出せなかったり 心に何かしらの影響を持ったまま成長してしまうような気がします。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「自分の子供なんだから、ケアラーがしっかり子供のケアまでしなさい。」⁡ ⁡⁡ ⁡ という意見はごもっともですが、それが出来ない、難しいのがダブルケアです。⁡ ⁡⁡ それだけダブルケアは、負担が大きいのです。 介護は各家庭の中で起きることですが、その小さな歪みを放置すれば、あっという間に社会全体へ広がってしまうように思います。 要介護者の生活を守るのはもちろんのこと、 ケアを担う人と ケアを担う人のそばで育つ子供も 守っていけるような対策がされていくといいなと思います。 #ダブルケア
1週間 ago
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1/9
こんにちは🌱‬‪

皆さんは、親の「思い出の味」とか「思い出の食べ物」ってありますか?

女性だと、母親やおばあちゃんから、家庭の味を受け継いだりすることもありますよね。

特に、お味噌汁とか。

あとは、カレーとか?

他にも、

親とよく一緒に食べたお菓子とか。

決まった場所に行くといつも買ってくれたものとか。

よく行ったレストランとか。

何かしら、あるのではと思います。

最近、賞味期限が近づくホットケーキミックスを消費するために久しぶりに作ったのが、写真の蒸しパン。(食べかけですいません😅)

そして、食べている最中に急に思い出したのが、

母もよくホットケーキミックスで蒸しパンを作ってくれていたな、ということ。

母はドライフルーツが好きだったので、レーズンやベリー?(名前不明の赤い実😂 昔はよく製菓コーナーに売ってました。わかる人いるかな?🤔)がいつも蒸しパンに入っていました🫐🍞

❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀

車の免許を持っていなかった母。

自転車でも片道20分弱、雨や雪の日は徒歩で30分以上かけて幼稚園の送り迎えを毎日してくれました。

疲れているはずなのに、幼稚園から帰宅すると、おやつに蒸しパンを作ってくれました。

電子レンジもなかったので、蒸し器で作るのですが、完成までの待ち時間は、塗り絵や、紙の着せ替え人形で一緒に遊んでくれたのを覚えています。

次第に部屋に広がる甘い匂いに、小さな私は、「まだ?」「まだ?」と何度も聞いた…かな?聞いてないかな?⁡
⁡そこまでは覚えてないけど、たぶん聞いてそう。笑

そして、蓋を開けた時にボワッと一気に立ち上るホクホクの湯気と甘い香り、

表面が少し割れて、でも、フワフワで。

湯気の水分でドライフルーツが宝石のように輝き、それを見る度に幼稚園児の心はいつもテンションMAXでした(*´˘`*)

❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀

今思い返すと、こんなにも幸せな気持ちになれて、大切な時間、記憶なのに、

成長と共に親との時間も減り、関係性も変わると、あっさりとそういった記憶は忘れ去られてしまうものです。

亡くなった後に、親の荷物を整理している時にも過去に戻される感覚はありますが、

その時は、悲しみや喪失感の方が大きくて、直視できなかったり、温もりを感じることって意外と難しかったりするんですよね。

❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀

5月で、母が亡くなって1年。

やっと、私もこうして母との時間を穏やかな気持ちで振り返れるようになってきました。

過去は振り返らない、なんて言わずに、皆さんも、少しだけ過去にタイムスリップしてみませんか?😊

忘れていた大切な宝物を、見つけられるかもしれません🍀

#在宅介護
#ダブルケアラー 
#ダブルケア
こんにちは🌱‬‪ 皆さんは、親の「思い出の味」とか「思い出の食べ物」ってありますか? 女性だと、母親やおばあちゃんから、家庭の味を受け継いだりすることもありますよね。 特に、お味噌汁とか。 あとは、カレーとか? 他にも、 親とよく一緒に食べたお菓子とか。 決まった場所に行くといつも買ってくれたものとか。 よく行ったレストランとか。 何かしら、あるのではと思います。 最近、賞味期限が近づくホットケーキミックスを消費するために久しぶりに作ったのが、写真の蒸しパン。(食べかけですいません😅) そして、食べている最中に急に思い出したのが、 母もよくホットケーキミックスで蒸しパンを作ってくれていたな、ということ。 母はドライフルーツが好きだったので、レーズンやベリー?(名前不明の赤い実😂 昔はよく製菓コーナーに売ってました。わかる人いるかな?🤔)がいつも蒸しパンに入っていました🫐🍞 ❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀ 車の免許を持っていなかった母。 自転車でも片道20分弱、雨や雪の日は徒歩で30分以上かけて幼稚園の送り迎えを毎日してくれました。 疲れているはずなのに、幼稚園から帰宅すると、おやつに蒸しパンを作ってくれました。 電子レンジもなかったので、蒸し器で作るのですが、完成までの待ち時間は、塗り絵や、紙の着せ替え人形で一緒に遊んでくれたのを覚えています。 次第に部屋に広がる甘い匂いに、小さな私は、「まだ?」「まだ?」と何度も聞いた…かな?聞いてないかな?⁡ ⁡そこまでは覚えてないけど、たぶん聞いてそう。笑 そして、蓋を開けた時にボワッと一気に立ち上るホクホクの湯気と甘い香り、 表面が少し割れて、でも、フワフワで。 湯気の水分でドライフルーツが宝石のように輝き、それを見る度に幼稚園児の心はいつもテンションMAXでした(*´˘`*) ❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀ 今思い返すと、こんなにも幸せな気持ちになれて、大切な時間、記憶なのに、 成長と共に親との時間も減り、関係性も変わると、あっさりとそういった記憶は忘れ去られてしまうものです。 亡くなった後に、親の荷物を整理している時にも過去に戻される感覚はありますが、 その時は、悲しみや喪失感の方が大きくて、直視できなかったり、温もりを感じることって意外と難しかったりするんですよね。 ❀ ┈┈┈┈┈┈✿ ┈┈┈┈┈┈┈❀ 5月で、母が亡くなって1年。 やっと、私もこうして母との時間を穏やかな気持ちで振り返れるようになってきました。 過去は振り返らない、なんて言わずに、皆さんも、少しだけ過去にタイムスリップしてみませんか?😊 忘れていた大切な宝物を、見つけられるかもしれません🍀 #在宅介護 #ダブルケアラー #ダブルケア
3週間 ago
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2/9
※お知らせ※
事後報告ですが、団体活動終了に伴い、アカウント名と画像を変えました。
自由気ままな投稿になりますが、今後もお付き合い頂ける方はよろしくお願いいたします。フォロー解除は自由にして頂いて大丈夫です。

𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄 𓈄

今日は風が強く、横殴りの雨でした𓏲𓂅☂︎
海沿いなので、雪は降らず❄

そんな天気でふと思い出したのが、

雨の日のデイサービスは、車椅子移動が大変だったな…ということ。

母は完全に寝たきりのため、ベッドサイドまで車椅子で移動する必要がありました。

玄関で車椅子を降りて、歩いて室内に入るということが出来なかったので、雨の日は、濡れた車椅子のタイヤのままリビングへ突入することになるのです。

例えるなら、外を走った自転車をリビングに入れるとか、外靴のままリビングに上がる、そんなイメージです。

恐らく、普通のご家庭なら考えられないと思います。

有り得ないことですよね。

でも、我が家ではこれが日常でした。

一応、車椅子用のタイヤカバーなども売ってはいるのですが、サイズが合わなかったり、値段も安くはないので購入しませんでした。

デイの送迎スタッフさんが、いつも玄関先でタイヤを拭いてから室内に入るようにしてくれるのですが、それでも写真のようにタイヤの後がクッキリ。

母をベッドに寝かせた後で、雑巾がけと、アルコール拭きを毎回していました。

寝たきりになると施設に入る方が多くなりますが、在宅介護が難しくなる要因の一つに、こういった生活環境とのミスマッチもあるのかなと感じます。

𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄 𓈄

そもそも雨の日はデイにいく時から大変。

車椅子用のカッパを着せて
その上からバスタオルなどを掛けて完全防備。

我が家のスロープが急だったので、雨の日は滑らないように、タオルを敷いて滑り止めをしたりもしました。

職員さんが母にだけかかるように傘をさしてくれるのですが、有難い反面、職員さんがずぶ濡れなのがいつも申し訳ない気持ちでした。

「私たちは全然大丈夫ですよ!」
「仕事ですし、いつものことですから!」

っていつもにこやかに言ってくれるんですが、介護職員だって同じ人間で、特別に体が強いわけでも、風邪を引きにくい体質なわけでもないわけですよね。

特に梅雨や台風シーズンは、天気予報をチェックして、雨風が強くなりそうな日は、こちらから連絡してデイをお休みにしたり、日程を変更してもらっていました。

今日もどこかで、雨風の中で、利用者一人一人と体を張って向き合っている人たちがいるんだろうな…

なんて思うと、どうか介護職の就業環境が、より良くなっていきますようにと願わずにはいられませんでした。

#在宅介護 
#ダブルケア 
#ダブルケアラー
※お知らせ※ 事後報告ですが、団体活動終了に伴い、アカウント名と画像を変えました。 自由気ままな投稿になりますが、今後もお付き合い頂ける方はよろしくお願いいたします。フォロー解除は自由にして頂いて大丈夫です。 𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄 𓈄 今日は風が強く、横殴りの雨でした𓏲𓂅☂︎ 海沿いなので、雪は降らず❄ そんな天気でふと思い出したのが、 雨の日のデイサービスは、車椅子移動が大変だったな…ということ。 母は完全に寝たきりのため、ベッドサイドまで車椅子で移動する必要がありました。 玄関で車椅子を降りて、歩いて室内に入るということが出来なかったので、雨の日は、濡れた車椅子のタイヤのままリビングへ突入することになるのです。 例えるなら、外を走った自転車をリビングに入れるとか、外靴のままリビングに上がる、そんなイメージです。 恐らく、普通のご家庭なら考えられないと思います。 有り得ないことですよね。 でも、我が家ではこれが日常でした。 一応、車椅子用のタイヤカバーなども売ってはいるのですが、サイズが合わなかったり、値段も安くはないので購入しませんでした。 デイの送迎スタッフさんが、いつも玄関先でタイヤを拭いてから室内に入るようにしてくれるのですが、それでも写真のようにタイヤの後がクッキリ。 母をベッドに寝かせた後で、雑巾がけと、アルコール拭きを毎回していました。 寝たきりになると施設に入る方が多くなりますが、在宅介護が難しくなる要因の一つに、こういった生活環境とのミスマッチもあるのかなと感じます。 𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄 𓈄 そもそも雨の日はデイにいく時から大変。 車椅子用のカッパを着せて その上からバスタオルなどを掛けて完全防備。 我が家のスロープが急だったので、雨の日は滑らないように、タオルを敷いて滑り止めをしたりもしました。 職員さんが母にだけかかるように傘をさしてくれるのですが、有難い反面、職員さんがずぶ濡れなのがいつも申し訳ない気持ちでした。 「私たちは全然大丈夫ですよ!」 「仕事ですし、いつものことですから!」 っていつもにこやかに言ってくれるんですが、介護職員だって同じ人間で、特別に体が強いわけでも、風邪を引きにくい体質なわけでもないわけですよね。 特に梅雨や台風シーズンは、天気予報をチェックして、雨風が強くなりそうな日は、こちらから連絡してデイをお休みにしたり、日程を変更してもらっていました。 今日もどこかで、雨風の中で、利用者一人一人と体を張って向き合っている人たちがいるんだろうな… なんて思うと、どうか介護職の就業環境が、より良くなっていきますようにと願わずにはいられませんでした。 #在宅介護 #ダブルケア #ダブルケアラー
3週間 ago
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3/9
※お知らせ※

2月末をもちまして、団体としての活動を終了します。

ダブルケアをしていた期間は、社会から隔離された生活で、自分という存在が透明人間になったようでした。

だから私は、この活動をすることで、社会との繋がりを持ちたかったのかもしれません。

社会に自分の居場所が欲しかったのかもしれません。

自分はこんなことをしてきたんだよ!と社会に主張したかったのかもしれません。

または、社会から必要とされることで、自分の存在意義を見いだそうとしていたのかもしれません。

でも、母が亡くなり、これからどう生きたいかを考えた時、

この活動とは違う道を歩む自分を見てみたい、という気持が強くなってきたことが大きな要因の一つです。⁡

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

20歳の時に両親が離婚したことをきっかけに、母を支える生活が始まりました。

それは母と子の役割が逆転したような関係性で、

「母を守るために生まれ、生きている」

と言っても過言ではないような日々でした。

母の病院代や生活のために、複数の仕事を掛け持ち、寝る間を惜しんで働いた20代。

休みは月に2日しかなく、過労で勤務中に意識を失って倒れたこともありました。

そしてダブルケアで駆け抜けた30代。

あっという間に40代に突入…。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

人生の折り返し地点とも言われる年齢ですが、

あらゆるしがらみの中で生きてきたこれまでの40年と、

自分の意志で全てを選んでいけるこれからの40年とでは、

意味も、重みも、全く違うものだと思っています。⁡
⁡⁡⁡
⁡
⁡もう頑張らなくていいよ。⁡
⁡よくここまでやってきたね。⁡
⁡⁡
⁡そう自分に思えた時、やめたいこととして最初に頭に浮かんだのがこの活動でした。⁡
⁡⁡
思いの外、プレッシャーだったのかもしれません。⁡
⁡⁡

活動を途中でやめることは無責任かもしれませんが、これまで後回しにしてきた

「自分の人生を楽しむこと」を最優先して、

社会に必要とされるかどうかではなく、自分のために生きてみようと思っています。

ブログとSNSでは、あくまで個人の意見、経験としてですが、これまで通り発信を継続していこうと思います。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

そして、今後は、ダブルケアや不登校等に関する情報以外にも、自分のこれまでの様々な経験から感じることも発信していくつもりです。

例えば、パニック障害や面前DV(心理的虐待)です。

私は、20代の時に、ストーカーに悩まされ、パニック障害になり電車が極端に怖く感じるようになりました。

20年近くたった今でも、電車に乗るのは毎回緊張します。⁡
⁡⁡
⁡パニック障害の厄介なところは、完治が難しいところ。⁡
⁡⁡
⁡日常生活に支障はなくても、発作を起こした場面や場所を見ると動悸や不安感に襲われたりします。⁡
⁡⁡
⁡外側からは見えにくいので、周囲に理解してもらうのが大変難しいです。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

もう一つの「面前DV」は、幼少期の体験です。

私はDVの家庭で育ちました。

父は、アルコールを飲むと暴力的になる人で、毎晩のように父に暴力を振るわれる母を見ては、止めに入るのが私の役割でした。⁡⁡
⁡⁡⁡
⁡
私の目の前で命を絶とうとする母親を、必死で泣いて引き留めました。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

ちなみに「面前DV」というのは、簡単に言うと、子供の目の前で夫婦喧嘩や暴力をふるうことを指します。

直接子供に手を出していなくても、暴力を振るわれたり、言葉で罵られる光景を子供が目にすることは、

子供への心理的虐待にあたるとみなされ、人格形成にも影響があると言われています。

こういった過去の経験についても、少しずつ発信していけたらと思っています。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

これまでもマイペースな活動でしたが、今後は更にペースを落とす予定です。

自分の心と向き合いながら、うまく情報を発信していけたらと思っています。

これまで、ダブルケア千葉南の活動を応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

みゆき
※お知らせ※ 2月末をもちまして、団体としての活動を終了します。 ダブルケアをしていた期間は、社会から隔離された生活で、自分という存在が透明人間になったようでした。 だから私は、この活動をすることで、社会との繋がりを持ちたかったのかもしれません。 社会に自分の居場所が欲しかったのかもしれません。 自分はこんなことをしてきたんだよ!と社会に主張したかったのかもしれません。 または、社会から必要とされることで、自分の存在意義を見いだそうとしていたのかもしれません。 でも、母が亡くなり、これからどう生きたいかを考えた時、 この活動とは違う道を歩む自分を見てみたい、という気持が強くなってきたことが大きな要因の一つです。⁡ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 20歳の時に両親が離婚したことをきっかけに、母を支える生活が始まりました。 それは母と子の役割が逆転したような関係性で、 「母を守るために生まれ、生きている」 と言っても過言ではないような日々でした。 母の病院代や生活のために、複数の仕事を掛け持ち、寝る間を惜しんで働いた20代。 休みは月に2日しかなく、過労で勤務中に意識を失って倒れたこともありました。 そしてダブルケアで駆け抜けた30代。 あっという間に40代に突入…。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 人生の折り返し地点とも言われる年齢ですが、 あらゆるしがらみの中で生きてきたこれまでの40年と、 自分の意志で全てを選んでいけるこれからの40年とでは、 意味も、重みも、全く違うものだと思っています。⁡ ⁡⁡⁡ ⁡ ⁡もう頑張らなくていいよ。⁡ ⁡よくここまでやってきたね。⁡ ⁡⁡ ⁡そう自分に思えた時、やめたいこととして最初に頭に浮かんだのがこの活動でした。⁡ ⁡⁡ 思いの外、プレッシャーだったのかもしれません。⁡ ⁡⁡ 活動を途中でやめることは無責任かもしれませんが、これまで後回しにしてきた 「自分の人生を楽しむこと」を最優先して、 社会に必要とされるかどうかではなく、自分のために生きてみようと思っています。 ブログとSNSでは、あくまで個人の意見、経験としてですが、これまで通り発信を継続していこうと思います。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ そして、今後は、ダブルケアや不登校等に関する情報以外にも、自分のこれまでの様々な経験から感じることも発信していくつもりです。 例えば、パニック障害や面前DV(心理的虐待)です。 私は、20代の時に、ストーカーに悩まされ、パニック障害になり電車が極端に怖く感じるようになりました。 20年近くたった今でも、電車に乗るのは毎回緊張します。⁡ ⁡⁡ ⁡パニック障害の厄介なところは、完治が難しいところ。⁡ ⁡⁡ ⁡日常生活に支障はなくても、発作を起こした場面や場所を見ると動悸や不安感に襲われたりします。⁡ ⁡⁡ ⁡外側からは見えにくいので、周囲に理解してもらうのが大変難しいです。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ もう一つの「面前DV」は、幼少期の体験です。 私はDVの家庭で育ちました。 父は、アルコールを飲むと暴力的になる人で、毎晩のように父に暴力を振るわれる母を見ては、止めに入るのが私の役割でした。⁡⁡ ⁡⁡⁡ ⁡ 私の目の前で命を絶とうとする母親を、必死で泣いて引き留めました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ちなみに「面前DV」というのは、簡単に言うと、子供の目の前で夫婦喧嘩や暴力をふるうことを指します。 直接子供に手を出していなくても、暴力を振るわれたり、言葉で罵られる光景を子供が目にすることは、 子供への心理的虐待にあたるとみなされ、人格形成にも影響があると言われています。 こういった過去の経験についても、少しずつ発信していけたらと思っています。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ これまでもマイペースな活動でしたが、今後は更にペースを落とす予定です。 自分の心と向き合いながら、うまく情報を発信していけたらと思っています。 これまで、ダブルケア千葉南の活動を応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。 これからも、どうぞよろしくお願いします。 みゆき
4週間 ago
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4/9
予定にはなかったのですが、思いついちゃったので…

新たにオンラインカフェを2件、開催します⸜(*ˊᗜˋ*)⸝

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

☆1、ケアと仕事

「介護離職」が最近話題にあがるようになりましたが、こちらはそうではなく…

「介護や子育てで家庭に入ってからの、社会復帰が難しすぎる!」

という私がダブルケアをしながら、ずっとモヤモヤしていたことを共有出来たらなと思ってます。

働きたい気持ちはあれど、なかなか条件が厳しく働けない😞という方も多いのではないかと思います。

私は、介護は終わりましたが、娘が不登校で留守番が出来ない状態なので、結局まだ外に働きに出ることが出来ません。

今、41歳。
働き盛りの30代はダブルケアで過ぎ去り、
娘が社会に馴染めるようになるのを待っていたら50歳...??

そこから何が出来るのかな?なんてことを考えたりします。

当日は、こんなことを話せたらと思っています。
同じようなお気持ちの方のご参加をお待ちしておりますm(_ _)m

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

☆2、偏食の子育て

ダブルケアとは直接関係ありませんが、実は、ダブルケアの世帯には、障がいを抱えたお子様がいる方が、かなりの確率でいるように感じています。

理由はわかりませんが。

我が家もその一つなので、今回は、「偏食」をテーマに開催しようと思います。

「偏食」は好き嫌いや食わず嫌い、などとは違います。

一般的な食育は通用しません。

どうやったって、食べないものは食べないのです。

好き嫌いではないので、仕方ないことだと頭ではわかっているし、無理に食べさせることもしないけれど、

本当にこのままで体は大丈夫なのか、
自分の食べさせ方が悪いのではないか、

などいつも迷いと不安でいっぱいです。

でも、ひとまず、今日、我が子が美味しくご飯を食べて、元気に過ごせていたらいいよね!っていう気持で、

うちの子、これは全然食べません!でも元気です!(,,>᎑<,,)っていう話を、堂々と話せたらいいなと思っています。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

どちらも少人数での開催です。
お気軽にご参加下さい。

お待ちしております(*´︶`)
予定にはなかったのですが、思いついちゃったので…

新たにオンラインカフェを2件、開催します⸜(*ˊᗜˋ*)⸝

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

☆1、ケアと仕事

「介護離職」が最近話題にあがるようになりましたが、こちらはそうではなく…

「介護や子育てで家庭に入ってからの、社会復帰が難しすぎる!」

という私がダブルケアをしながら、ずっとモヤモヤしていたことを共有出来たらなと思ってます。

働きたい気持ちはあれど、なかなか条件が厳しく働けない😞という方も多いのではないかと思います。

私は、介護は終わりましたが、娘が不登校で留守番が出来ない状態なので、結局まだ外に働きに出ることが出来ません。

今、41歳。
働き盛りの30代はダブルケアで過ぎ去り、
娘が社会に馴染めるようになるのを待っていたら50歳...??

そこから何が出来るのかな?なんてことを考えたりします。

当日は、こんなことを話せたらと思っています。
同じようなお気持ちの方のご参加をお待ちしておりますm(_ _)m

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☆2、偏食の子育て

ダブルケアとは直接関係ありませんが、実は、ダブルケアの世帯には、障がいを抱えたお子様がいる方が、かなりの確率でいるように感じています。

理由はわかりませんが。

我が家もその一つなので、今回は、「偏食」をテーマに開催しようと思います。

「偏食」は好き嫌いや食わず嫌い、などとは違います。

一般的な食育は通用しません。

どうやったって、食べないものは食べないのです。

好き嫌いではないので、仕方ないことだと頭ではわかっているし、無理に食べさせることもしないけれど、

本当にこのままで体は大丈夫なのか、
自分の食べさせ方が悪いのではないか、

などいつも迷いと不安でいっぱいです。

でも、ひとまず、今日、我が子が美味しくご飯を食べて、元気に過ごせていたらいいよね!っていう気持で、

うちの子、これは全然食べません!でも元気です!(,,>᎑<,,)っていう話を、堂々と話せたらいいなと思っています。

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どちらも少人数での開催です。
お気軽にご参加下さい。

お待ちしております(*´︶`)
予定にはなかったのですが、思いついちゃったので… 新たにオンラインカフェを2件、開催します⸜(*ˊᗜˋ*)⸝ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ☆1、ケアと仕事 「介護離職」が最近話題にあがるようになりましたが、こちらはそうではなく… 「介護や子育てで家庭に入ってからの、社会復帰が難しすぎる!」 という私がダブルケアをしながら、ずっとモヤモヤしていたことを共有出来たらなと思ってます。 働きたい気持ちはあれど、なかなか条件が厳しく働けない😞という方も多いのではないかと思います。 私は、介護は終わりましたが、娘が不登校で留守番が出来ない状態なので、結局まだ外に働きに出ることが出来ません。 今、41歳。 働き盛りの30代はダブルケアで過ぎ去り、 娘が社会に馴染めるようになるのを待っていたら50歳...?? そこから何が出来るのかな?なんてことを考えたりします。 当日は、こんなことを話せたらと思っています。 同じようなお気持ちの方のご参加をお待ちしておりますm(_ _)m ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ☆2、偏食の子育て ダブルケアとは直接関係ありませんが、実は、ダブルケアの世帯には、障がいを抱えたお子様がいる方が、かなりの確率でいるように感じています。 理由はわかりませんが。 我が家もその一つなので、今回は、「偏食」をテーマに開催しようと思います。 「偏食」は好き嫌いや食わず嫌い、などとは違います。 一般的な食育は通用しません。 どうやったって、食べないものは食べないのです。 好き嫌いではないので、仕方ないことだと頭ではわかっているし、無理に食べさせることもしないけれど、 本当にこのままで体は大丈夫なのか、 自分の食べさせ方が悪いのではないか、 などいつも迷いと不安でいっぱいです。 でも、ひとまず、今日、我が子が美味しくご飯を食べて、元気に過ごせていたらいいよね!っていう気持で、 うちの子、これは全然食べません!でも元気です!(,,>᎑<,,)っていう話を、堂々と話せたらいいなと思っています。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ どちらも少人数での開催です。 お気軽にご参加下さい。 お待ちしております(*´︶`)
1か月 ago
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5/9
昨日、8日に「看取り」をテーマにしたオンラインカフェを開催しました。

かなり限られたテーマにしたため、参加者がゼロであることを覚悟の上での開催でしたが、当日2名の方にご参加頂きました。

ありがとうございました🙇🏻‍♀️´-

参加したかったけど、日程の都合が合わず…
とご連絡を下さった方もいらっしゃり、またこのテーマでいつか開催できたらと思っています。

-----------------------------

今回のお話の中で、亡くなる前に、公正証書や遺言書などを用意しておいてもらえるとやっぱり違うよね!大事だよね!という話題になりました。

皆様のご両親は、そういったものを準備していますか?

うちに資産なんてない!
そんなものなくても大丈夫だろ!

うちの家族はみんな仲良しだから、協力してやってくれるだろう

と思っていても、家族同士で揉めてしまうことは少なくありません。

法的に効力のある書類の有無で、その後の手続きが大きく変わってくることがあるし、手間や無駄な精神的負担を省けることもあります。

残された家族のことを思うなら、そういった準備を生前にしておくことも、大切なように思います。

-----------------------------

日本では、死に関する話は「縁起が悪い」と、ほとんどの家族でされることはないと思います。

今でこそ「終活」が当たり前になりましたが、出始めた当時も、かなり世間から批判があったように記憶しています。

でも、終活で決めるのは主に葬儀の内容についてだけで、身の回りのことについては手付かずになっていることが多いように思います。

そして、介護を担っていた人の手を、介護が終わったあとにも煩わせる要因となるのが、この身の回りの手続きです。

銀行口座の解約一つとっても、必要な書類や手続きが銀行ごとに異なり、手間と時間がかかります。
届出印がどれか、なんて普通はわかりませんよね。

亡くなったあと、気持ちの整理もつかないまま、そういった細々した手続きにケアラーが追われるのです。

ダブルケアの場合、子供を連れて役所や銀行へいくつも回って手続きをするのは、本当に大変なのです。

サッといって、チャチャッと済ませられる。

そんな簡単なものではないのです。

また、マイナンバーで手続きをまとめてできるようにしたり、手書きの申請書類を減らしたり、オンラインで申請が可能になればいいのではないか、と思ったりもします。

高齢者が増えているということは、亡くなる方も増えていくということ。

亡くなった際の手続きの簡素化はもちろんですが、

認知症になる前にしか出来ない手続きがあることや、生前のうちにやっておくといいことなどを、自治体側から、住民に積極的に情報を提供していくことも必要ではないかと感じます。
昨日、8日に「看取り」をテーマにしたオンラインカフェを開催しました。 かなり限られたテーマにしたため、参加者がゼロであることを覚悟の上での開催でしたが、当日2名の方にご参加頂きました。 ありがとうございました🙇🏻‍♀️´- 参加したかったけど、日程の都合が合わず… とご連絡を下さった方もいらっしゃり、またこのテーマでいつか開催できたらと思っています。 ----------------------------- 今回のお話の中で、亡くなる前に、公正証書や遺言書などを用意しておいてもらえるとやっぱり違うよね!大事だよね!という話題になりました。 皆様のご両親は、そういったものを準備していますか? うちに資産なんてない! そんなものなくても大丈夫だろ! うちの家族はみんな仲良しだから、協力してやってくれるだろう と思っていても、家族同士で揉めてしまうことは少なくありません。 法的に効力のある書類の有無で、その後の手続きが大きく変わってくることがあるし、手間や無駄な精神的負担を省けることもあります。 残された家族のことを思うなら、そういった準備を生前にしておくことも、大切なように思います。 ----------------------------- 日本では、死に関する話は「縁起が悪い」と、ほとんどの家族でされることはないと思います。 今でこそ「終活」が当たり前になりましたが、出始めた当時も、かなり世間から批判があったように記憶しています。 でも、終活で決めるのは主に葬儀の内容についてだけで、身の回りのことについては手付かずになっていることが多いように思います。 そして、介護を担っていた人の手を、介護が終わったあとにも煩わせる要因となるのが、この身の回りの手続きです。 銀行口座の解約一つとっても、必要な書類や手続きが銀行ごとに異なり、手間と時間がかかります。 届出印がどれか、なんて普通はわかりませんよね。 亡くなったあと、気持ちの整理もつかないまま、そういった細々した手続きにケアラーが追われるのです。 ダブルケアの場合、子供を連れて役所や銀行へいくつも回って手続きをするのは、本当に大変なのです。 サッといって、チャチャッと済ませられる。 そんな簡単なものではないのです。 また、マイナンバーで手続きをまとめてできるようにしたり、手書きの申請書類を減らしたり、オンラインで申請が可能になればいいのではないか、と思ったりもします。 高齢者が増えているということは、亡くなる方も増えていくということ。 亡くなった際の手続きの簡素化はもちろんですが、 認知症になる前にしか出来ない手続きがあることや、生前のうちにやっておくといいことなどを、自治体側から、住民に積極的に情報を提供していくことも必要ではないかと感じます。
1か月 ago
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6/9
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

__

もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

-----------------------------

その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

__

もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

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先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

__

もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

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先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

__

もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

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先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

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もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

-----------------------------

その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

__

もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

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もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

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もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

――

進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。

卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。

進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、

それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか?

大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。

――

もう小学生になるんだから
これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ!

と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。

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もう一番下の学年ではなくなります。
お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。

などと今の1年生は学校で言われていたりします。

――

来年はいよいよ最後の年です。
将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう!

なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。

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進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。

また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。
特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。

娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。

それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。

また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。

体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。

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その「式」は、誰のための式なのか。

子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。

コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。

親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、

練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。

と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。

6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。

そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。

こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。

プレッシャーは悪いわけではありませんし、
全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。

しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。

-----------------------------

先にやっておけば
新しい生活で困ることが減るだろう‥

という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、

まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。

来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。

怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。

無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
あと1か月ちょっとで3学期も終わり。 卒業を控える方は、卒業と入学の準備で忙しい日々をお過ごしかと思います。 進級・進学を控えた【この時期特有の忙しさ】というがあると思いますが、 それが、子供たちにけっこうなプレッシャーを与えている、ということに気づいているでしょうか? 大人の、子供のためを思っての一言が、逆に子供たちを追い込んでいることがあります。 ―― もう小学生になるんだから これくらい一人出来ないと恥ずかしいよ! と言われている幼稚園/保育園児もいるでしょう。 __ もう一番下の学年ではなくなります。 お兄さん、お姉さんとしていいお手本になりましょう。 などと今の1年生は学校で言われていたりします。 ―― 来年はいよいよ最後の年です。 将来や進路について真剣に考え、悔いのない学校生活を送りましょう! なんて言われる5年生/2年生もいるでしょう。 ―― 進級を意識して、勉強のペースが急に早くなったり、これまであったサポートが減らされたり、今までと教え方が変わったりして、戸惑っている子供もいるかもしれません。 また、卒業生は、卒業式の練習も始まります。 特に発達障害のある子供たちには、式の練習というのは、大変負荷のかかるものでもあります。 娘がそうなのですが、そもそも、「式」の類のものが苦手という子が、障害の有無に関わらず一定数いるのではと思っています。 それは集団が苦手だったり、保護者が集まる異様な空気感に戸惑う子や、理由は様々です。 また、学校の「式」は来賓や関係者の話が長くなり、なにかと拘束時間が長くなりやすいです。 体幹の弱い子は、待機時間が長いことで身体的な苦痛も感じやすく、その分、精神的にも疲れやすくなってしまいます。 ----------------------------- その「式」は、誰のための式なのか。 子供たちに苦痛を感じさせてまでやる意味はあるのか。 コロナ禍には簡素化されたりもしましたが、最近はまた以前の形式に戻るところもあるかと思います。 親としては、立派な子供たちの姿を見れるのは喜ばしい事だとは思いますが、 練習で厳しく叱りながら、何度もやり直しさせることには疑問を感じる所ではあります。 と同時に、卒業生に向けた行事が開催されることも多く、下級生が、歌や劇、ダンスなど何かしらの発表会の練習をしていることも多いです。 6年生のために素晴らしい思い出をプレゼントしましょう!と練習に取り組むこともあるかもしれません。 そして、学校以外の習い事などでも、【1年の総仕上げ】として発表会や試験があり、その準備とも重なったりします。 こう考えると、この時期、子供たちにはあらゆる方面からプレッシャーがかかっていることがわかります。 プレッシャーは悪いわけではありませんし、 全ての子供に負荷がかかっているわけでもないと思います。 しかし、中には、疲れてしまう子供もいるのではないかと思っています。 ----------------------------- 先にやっておけば 新しい生活で困ることが減るだろう‥ という気持ちから前倒しで教えたり始めたくなりますが、 まずは一年間頑張った子供たちをたくさん褒めて、一旦解放してあげることも大事ではないかと思うのです。 来年度のことは、来年度になってからでも大丈夫です。 怠けさせるのでも、甘やかすのでもなく、適宜休ませて、ただ子供らしく、ただ楽しいだけで過ごせる時間を作ってあげて欲しいなと思います。 無駄に思えるような時間にこそ、子供の成長に大切な“何か”が詰まっているのではないでしょうか。
2か月 ago
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7/9
2月はダブルケア月間🍀

- - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - -

ダブルケアの活動をしていて気づいたことがあります。

今の私が、誰かにかけてあげたいと思う言葉は

当時の自分が、誰かにかけて欲しかった言葉で

今の私が、誰かにしてあげたいと思うことは

当時の自分が、誰かにして欲しかったことだということ。

誰か一人にでも何か届いたらいいなと思って発信し続けてるけれど

それも全て、本当は当時の自分に届けるためなのかな‥なんて思ったりもします🍀

- - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - -

そこで、今、ダブルケアの支援活動をしようか考えている人がいたら、とにかくあなたのペースでいいんだよ、と伝えたいです。

ダブルケアを経験したからといって、ダブルケアの支援活動の道に進む必要なんてないのです。

社会のために何かしたい!
誰かの役に立ちたい!

その気持ちはとても素晴らしいことだけど、傷を負ったまま、誰かを支援するのはやっぱり苦しい。

やりたいと思った時にやればいいし

やりたいけど今はやる気が起きない‥なら
やる気が起きるまでやらなくていいし

やってみたけどイマイチだなと思ったら
やめたっていいと思っています。

なので、私も、正直いつまでこの活動を続けるかはわかりません(•ᴗ•; )

でも今は、活動を通して、自分が癒されていることを実感出来ているので、もう少し続けてみようと思っています。

あくまで、誰かのためではなく、自分のために。
できることを無理のない範囲で‥が当面の目標です。笑

*。٩(* ॑ᗜ ॑* )و*。

#ダブルケア月間 
#ダブルケアラー
2月はダブルケア月間🍀

- - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - -

ダブルケアの活動をしていて気づいたことがあります。

今の私が、誰かにかけてあげたいと思う言葉は

当時の自分が、誰かにかけて欲しかった言葉で

今の私が、誰かにしてあげたいと思うことは

当時の自分が、誰かにして欲しかったことだということ。

誰か一人にでも何か届いたらいいなと思って発信し続けてるけれど

それも全て、本当は当時の自分に届けるためなのかな‥なんて思ったりもします🍀

- - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - -

そこで、今、ダブルケアの支援活動をしようか考えている人がいたら、とにかくあなたのペースでいいんだよ、と伝えたいです。

ダブルケアを経験したからといって、ダブルケアの支援活動の道に進む必要なんてないのです。

社会のために何かしたい!
誰かの役に立ちたい!

その気持ちはとても素晴らしいことだけど、傷を負ったまま、誰かを支援するのはやっぱり苦しい。

やりたいと思った時にやればいいし

やりたいけど今はやる気が起きない‥なら
やる気が起きるまでやらなくていいし

やってみたけどイマイチだなと思ったら
やめたっていいと思っています。

なので、私も、正直いつまでこの活動を続けるかはわかりません(•ᴗ•; )

でも今は、活動を通して、自分が癒されていることを実感出来ているので、もう少し続けてみようと思っています。

あくまで、誰かのためではなく、自分のために。
できることを無理のない範囲で‥が当面の目標です。笑

*。٩(* ॑ᗜ ॑* )و*。

#ダブルケア月間 
#ダブルケアラー
2月はダブルケア月間🍀 - - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - - ダブルケアの活動をしていて気づいたことがあります。 今の私が、誰かにかけてあげたいと思う言葉は 当時の自分が、誰かにかけて欲しかった言葉で 今の私が、誰かにしてあげたいと思うことは 当時の自分が、誰かにして欲しかったことだということ。 誰か一人にでも何か届いたらいいなと思って発信し続けてるけれど それも全て、本当は当時の自分に届けるためなのかな‥なんて思ったりもします🍀 - - - - - ꒰ ♡ ꒱ - - - - - そこで、今、ダブルケアの支援活動をしようか考えている人がいたら、とにかくあなたのペースでいいんだよ、と伝えたいです。 ダブルケアを経験したからといって、ダブルケアの支援活動の道に進む必要なんてないのです。 社会のために何かしたい! 誰かの役に立ちたい! その気持ちはとても素晴らしいことだけど、傷を負ったまま、誰かを支援するのはやっぱり苦しい。 やりたいと思った時にやればいいし やりたいけど今はやる気が起きない‥なら やる気が起きるまでやらなくていいし やってみたけどイマイチだなと思ったら やめたっていいと思っています。 なので、私も、正直いつまでこの活動を続けるかはわかりません(•ᴗ•; ) でも今は、活動を通して、自分が癒されていることを実感出来ているので、もう少し続けてみようと思っています。 あくまで、誰かのためではなく、自分のために。 できることを無理のない範囲で‥が当面の目標です。笑 *。٩(* ॑ᗜ ॑* )و*。 #ダブルケア月間 #ダブルケアラー
2か月 ago
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8/9
2月2日はダブルケアの日

┈┈👵👴👦👧┈┈

介護があるから、結婚や子供を諦める。

介護があるから、仕事のキャリアを諦める。

介護があるから、夢への挑戦を諦める。

介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、

残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡
⁡⁡
⁡⁡
誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく
⁡⁡
⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡
⁡⁡
⁡その経過は人それぞれ違います。⁡
⁡⁡
⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡
⁡⁡
⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡
⁡⁡
⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡
⁡⁡
要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡
⁡⁡⁡⁡
⁡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⁡⁡
⁡
⁡⁡
私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡
⁡⁡
「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡
⁡
 ⁡そして⁡
⁡
⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡
⁡
⁡⁡
⁡その2人だけで構成されていて⁡
⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡
⁡⁡
それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡
⁡⁡
⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡
⁡
⁡⁡⁡
⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡
⁡
⁡家庭内のことは女性の役目。⁡
⁡⁡⁡
⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡
⁡⁡
しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡
⁡⁡
⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか?
⁡
⁡✧••┈┈┈┈┈┈••✧⁡
⁡

安定した収入がなくなってしまう。

社会との関わりが閉ざされてしまう。

介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡
⁡⁡
だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても

自分の生活を生きることで精一杯だったり、

介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から

申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。

みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。

しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。

いずれは自分たちも介護を受ける側になり、
自分たちの子供が介護を担うようになるのです。

どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。

介護が悪いわけでも
介護のために離職することが悪いわけでもなく

介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと

そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。

一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡
⁡
介護 か 自分の人生か

そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。

#ダブルケア月間
#ダブルケア
2月2日はダブルケアの日

┈┈👵👴👦👧┈┈

介護があるから、結婚や子供を諦める。

介護があるから、仕事のキャリアを諦める。

介護があるから、夢への挑戦を諦める。

介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、

残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡
⁡⁡
⁡⁡
誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく
⁡⁡
⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡
⁡⁡
⁡その経過は人それぞれ違います。⁡
⁡⁡
⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡
⁡⁡
⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡
⁡⁡
⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡
⁡⁡
要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡
⁡⁡⁡⁡
⁡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⁡⁡
⁡
⁡⁡
私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡
⁡⁡
「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡
⁡
 ⁡そして⁡
⁡
⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡
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⁡⁡
⁡その2人だけで構成されていて⁡
⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡
⁡⁡
それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡
⁡⁡
⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡
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⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡
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⁡家庭内のことは女性の役目。⁡
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⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡
⁡⁡
しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡
⁡⁡
⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか?
⁡
⁡✧••┈┈┈┈┈┈••✧⁡
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安定した収入がなくなってしまう。

社会との関わりが閉ざされてしまう。

介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡
⁡⁡
だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても

自分の生活を生きることで精一杯だったり、

介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から

申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。

みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。

しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。

いずれは自分たちも介護を受ける側になり、
自分たちの子供が介護を担うようになるのです。

どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。

介護が悪いわけでも
介護のために離職することが悪いわけでもなく

介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと

そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。

一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡
⁡
介護 か 自分の人生か

そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。

#ダブルケア月間
#ダブルケア
2月2日はダブルケアの日

┈┈👵👴👦👧┈┈

介護があるから、結婚や子供を諦める。

介護があるから、仕事のキャリアを諦める。

介護があるから、夢への挑戦を諦める。

介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、

残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡
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誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく
⁡⁡
⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡
⁡⁡
⁡その経過は人それぞれ違います。⁡
⁡⁡
⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡
⁡⁡
⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡
⁡⁡
⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡
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要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡
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私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡
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「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡
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 ⁡そして⁡
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⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡
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⁡その2人だけで構成されていて⁡
⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡
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それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡
⁡⁡
⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡
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⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡
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⁡家庭内のことは女性の役目。⁡
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⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡
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しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡
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⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか?
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安定した収入がなくなってしまう。

社会との関わりが閉ざされてしまう。

介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡
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だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても

自分の生活を生きることで精一杯だったり、

介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から

申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。

みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。

しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。

いずれは自分たちも介護を受ける側になり、
自分たちの子供が介護を担うようになるのです。

どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。

介護が悪いわけでも
介護のために離職することが悪いわけでもなく

介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと

そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。

一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡
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介護 か 自分の人生か

そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。

#ダブルケア月間
#ダブルケア
2月2日はダブルケアの日

┈┈👵👴👦👧┈┈

介護があるから、結婚や子供を諦める。

介護があるから、仕事のキャリアを諦める。

介護があるから、夢への挑戦を諦める。

介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、

残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡
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誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく
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⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡
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⁡その経過は人それぞれ違います。⁡
⁡⁡
⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡
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⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡
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⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡
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要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡
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私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡
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「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡
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 ⁡そして⁡
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⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡
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⁡その2人だけで構成されていて⁡
⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡
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それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡
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⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡
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⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡
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⁡家庭内のことは女性の役目。⁡
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⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡
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しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡
⁡⁡
⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか?
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⁡✧••┈┈┈┈┈┈••✧⁡
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安定した収入がなくなってしまう。

社会との関わりが閉ざされてしまう。

介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡
⁡⁡
だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても

自分の生活を生きることで精一杯だったり、

介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から

申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。

みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。

しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。

いずれは自分たちも介護を受ける側になり、
自分たちの子供が介護を担うようになるのです。

どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。

介護が悪いわけでも
介護のために離職することが悪いわけでもなく

介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと

そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。

一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡
⁡
介護 か 自分の人生か

そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。

#ダブルケア月間
#ダブルケア
2月2日はダブルケアの日

┈┈👵👴👦👧┈┈

介護があるから、結婚や子供を諦める。

介護があるから、仕事のキャリアを諦める。

介護があるから、夢への挑戦を諦める。

介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、

残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡
⁡⁡
⁡⁡
誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく
⁡⁡
⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡
⁡⁡
⁡その経過は人それぞれ違います。⁡
⁡⁡
⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡
⁡⁡
⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡
⁡⁡
⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡
⁡⁡
要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡
⁡⁡⁡⁡
⁡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⁡⁡
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私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡
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「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡
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 ⁡そして⁡
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⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡
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⁡⁡
⁡その2人だけで構成されていて⁡
⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡
⁡⁡
それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡
⁡⁡
⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡
⁡
⁡⁡⁡
⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡
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⁡家庭内のことは女性の役目。⁡
⁡⁡⁡
⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡
⁡⁡
しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡
⁡⁡
⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか?
⁡
⁡✧••┈┈┈┈┈┈••✧⁡
⁡

安定した収入がなくなってしまう。

社会との関わりが閉ざされてしまう。

介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡
⁡⁡
だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても

自分の生活を生きることで精一杯だったり、

介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から

申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。

みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。

しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。

いずれは自分たちも介護を受ける側になり、
自分たちの子供が介護を担うようになるのです。

どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。

介護が悪いわけでも
介護のために離職することが悪いわけでもなく

介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと

そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。

一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。

✧••┈┈┈┈┈┈••✧

ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡
⁡
介護 か 自分の人生か

そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。

#ダブルケア月間
#ダブルケア
2月2日はダブルケアの日 ┈┈👵👴👦👧┈┈ 介護があるから、結婚や子供を諦める。 介護があるから、仕事のキャリアを諦める。 介護があるから、夢への挑戦を諦める。 介護のためには、ケアを担う人が、自分の人生の大切な何かを諦めなければいけない、 残念ながら、これが今の日本の現状です。⁡ ⁡⁡ ⁡⁡ 誰もがピンピンコロリで人生を終えられるわけではなく ⁡⁡ ⁡多くの人が、誰かの手を借りながら、ゆっくりと人生を終えていくことになります。⁡⁡ ⁡⁡ ⁡その経過は人それぞれ違います。⁡ ⁡⁡ ⁡だから、ダブルケアの形も全て違い、100人介護を必要とする人がいれば、100通りのダブルケアの形があると言われています。⁡ ⁡⁡ ⁡でも、そのどれもに共通して言えることは、介護を担う人の存在が置き去りになっているということ。⁡⁡ ⁡⁡ ⁡要介護者が1人いれば、そこには必ずその人を支える誰かがいます。⁡ ⁡⁡ 要介護者を支えるために、諦めなければならなかったものや、手放さざるを得なかった人生がそこにあることを忘れないで欲しいと思います。⁡⁡⁡ ⁡⁡⁡⁡ ⁡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⁡⁡ ⁡ ⁡⁡ 私は介護をしている間、体は生きているのに、心は死んでいるような状態でした。⁡ ⁡⁡ 「母」⁡として家族と接する私⁡。⁡⁡ ⁡ ⁡そして⁡ ⁡ ⁡「娘」⁡として母と接する私。⁡⁡ ⁡ ⁡⁡ ⁡その2人だけで構成されていて⁡ ⁡⁡「私」という人格がなくなったような、透明人間になったような感覚でした。⁡⁡⁡ ⁡⁡ それだけ、介護は誰かの人生を著しく狂わせるものであるのです。⁡ ⁡⁡ ⁡にも関わらず、家事と同じような感覚で、介護も出来るでしょ?という視線が、特に女性に向けられているように思います。⁡⁡ ⁡ ⁡⁡⁡ ⁡介護は家庭内のこと。⁡⁡⁡ ⁡ ⁡家庭内のことは女性の役目。⁡ ⁡⁡⁡ ⁡そう考えている方もきっと多いのでは‥?⁡ ⁡⁡ しかし、結婚しない選択をする方が増えていることを考えると、男性が介護と向き合わざるを得なくなる未来も近いと思っています。⁡ ⁡⁡ ⁡そうなった時、社会、経済はこれまでのようにまわるのでしょうか? ⁡ ⁡✧••┈┈┈┈┈┈••✧⁡ ⁡ 安定した収入がなくなってしまう。 社会との関わりが閉ざされてしまう。 介護によって、これまであったものや、これまで出来ていたことが出来なくなくなってしまうことが、みんな不安なのだと思います。⁡ ⁡⁡ だから、⁡本当は傍にいて、親の世話をしたいと思っても 自分の生活を生きることで精一杯だったり、 介護離職をして自分のキャリアが途切れることへの不安から 申し訳ないと思いながら施設に入ってもらう方もいると思います。 みんながみんな、介護が嫌で、施設へ預けているわけでもないのかなと思います。 ✧••┈┈┈┈┈┈••✧ 介護をすることがデメリットしかない現状では、誰でも高齢者を疎ましく感じてしまうし、「介護なんてしたくない!」という気持になって当然だとも思います。 しかし、だからといって、高齢者と若者の対立を生じさせたり、介護を担う人を社会の隅に追いやっていては何も解決しません。 いずれは自分たちも介護を受ける側になり、 自分たちの子供が介護を担うようになるのです。 どうやったら介護と共存していけるかを考えていく必要があるのではないかと思います。 ✧••┈┈┈┈┈┈••✧ 介護現場の待遇改善と、介護離職を防ぐことは特に早急に取り組むべき課題だと思います。 介護が悪いわけでも 介護のために離職することが悪いわけでもなく 介護をしながら仕事を続けることが困難な勤務体系しか選択できないこと そして、一度離職したら社会復帰することが困難になってしまうことが良くないのです。 一時的に介護離職したとしても、その後にきちんと社会復帰できるシステムの構築が必要不可決だと思います。 ✧••┈┈┈┈┈┈••✧ ダブルケアは家庭内で起きていることですが、高齢化と人口減少が進む日本においては、「各家庭の問題」ではなく、社会全体で向き合うべき問題であり、社会全体で取り組むべき課題なのではないでしょうか。⁡ ⁡ 介護 か 自分の人生か そんな究極の選択ではなく、どちらも選べる社会であることを願っています。 #ダブルケア月間 #ダブルケア
2か月 ago
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