脳出血の後遺症と向き合う

後遺症

※この記事は過去記事のリライト版です。

さて、みなさんに質問です。

今日から、あなたの首から下の体は全く動きません。

と突然言われたとします。

はい。わかりました!
命が助かっただけよかったです。

そう素直に受け入れられますか?

思うように動かない体

無事に手術を終えた時、
私は『命が救えたこと』に安堵しました。

命さえあれば…
生きてさえいればどんな姿でもいい…
そう思っていました。

でも、そんなの、ただの自己満足だったことに気づかされます。

急性期病院にいた頃はまだ頭がぼーっとしていたこともあり、母自身もよくわかっていなかったのだと思います。

リハビリ病院へ転院し、次第に頭がしっかりしてくると、今まで見えていなかったことが見えるようになってきました。

と同時に、母は、自分の変わり果てた姿にショックを隠せない様子。

全く動かない自分の体と向き合えずにいました。

こんな体いや…

ここまで生きてきて、なんでこんなことにならないといけないの…

こんなことならあの時死んでたほうが良かった…

面会の度にマイナスな発言をする母。

私はどう声をかけたらいいかわかりませんでした。

『そうだね。辛いよね。嫌だよね。』

なんて言っても所詮他人事だし、体が動かなくなった辛さが私にわかるはずもないのです。

かといって、

『そんなことないよ!動かなくなっても生きてるだけでいいんだよ!』

と心では思っていても、この状況で言っても、これもまたキレイゴトでしかないような気がして言えませんでした。

私には、母の目から流れる涙を、ただただ、ティッシュでぬぐってあげることしか出来ませんでした。

後悔?自問自答の日々

そんな姿を見続ける内に、私の中に一つの疑問が生まれます。

手術をして命を助けたことは本当に正しかったのか…

もちろん、倫理道徳的に考えればそれは正しかったと言えます。

でもそんな話じゃなくて。

こうなることが母自身わかっていたら、それでも母は手術を希望しただろうか。

もしかしたら、私は、本来しなくてもいい苦痛を母に与えているのではないか。

あのまま亡くなっていた方が、母は幸せだったのではないか。

私が【助けてしまった】せいで、母は不自由な体で生きていかなければいけなくなったのかもしれない。

そう思うようになりました。

本当助けない方が良かったのかもしれない

助けたことがいけなかったことのように思え、自問自答する日々を私も過ごすのです。

この疑問に対する答えが出るのは、まだまだずっと先のこと。

未来のためにできること

医学・医療の進歩に伴い、人の寿命は確実に伸びています。

しかし、その寿命を健康な状態で最後まで全う出来る人はどれくらいいるでしょうか。

”ピンピンコロリ”が出来るならば理想です。

でも、なかなか現実ではそうもいきません。

私たちが考える「ピンピン」の状態。
それは、おそらく…

体も心も健康で、頭もボケずに、他人様に迷惑をかけることなく自立した生活が出来る状態、かなと思います。

では、現実はどうでしょうか?

体はピンピンでも、認知機能は低下し、適切な判断が出来なくなっていくことがあります。

逆に、頭はピンピンでも、身体機能が低下して一人では歩けなくなることもあります。

そう考えれば、多くの方が理想とする“ピンピンコロリ”はあまり現実的でないように思いますよね。

通院するのに、家族が車で送迎していませんか?

買い物するのに、家族で車を出していませんか?

家の掃除や草取り、家族がやっていませんか?

スマホの契約や役所の手続きなど、家族に手伝ってもらっていませんか?

それ、全部、介護の一部です。
細かく言えば、「介助」なのかもしれませんが、母のように急性疾患が原因でない場合、こういった日常のちょっとしたサポートから介護生活は始まっていきます。

介護と聞くと、オムツ替えなどの身体介護をイメージする方も多いかもしれませんが、初期の内は、むしろ生活面のサポートが大半を占めてくるのではないかと思います。

高齢になると、親しかった友人が介護サービスを受けたり、家族に介助されている姿を目にすることも増えるでしょう。

そんな時、『あんな風にはなりたくないねぇ…』などと言っている場合ではないのです。

また、私たち若い世代も、高齢者を見て『お荷物』だとか『老害』だとか批判している場合でもないのです。

自分の親も、いつかは介護が必要になるのです。

親が、自分のことを口うるさく叱ってくれるのも、食べ物やお金を仕送りをしてくれるのも、お正月やお盆に帰省してゆっくりさせてくれたり好物をふるまってくれるのも、全部「今、元気だから」出来ることなのです。

なんなら、私たちもいずれ誰かに助けてもらわなければいけなくなります。

今後、介護が必要になる側、介護を担う側、どちらも自分のこととして考えて欲しいなと思います。

今回、私は母の後遺症で悩むことになりましたが、これが、【延命治療】だったら…?

一度治療を始めてしまえば、家族の意思でどうにかできるものではありません。

より慎重な判断が求められます。

しかし、どうしても緊急時は慌ててしまい判断力が鈍ってしまいます。

また、親族間で意見が纏まらず、不本意な結末になってしまうこともあるでしょう。

【終活】で自分が亡くなった場合にどうするか事前に決めるように、

【介護】が必要になった場合にもどうするのかをぜひ家族で話し合って欲しいなと思います。

人にお世話にならないような生き方もいいですが、

いつか誰かのお世話になるかもしれないことを前提として
一人ひとりが、今の自分にできることは何か、考えていく必要があると感じています。

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