寝たきりの母の在宅介護をして7年目。
衰えを感じずにはいられない日々。
「最期」を真剣に考えるようになって改めて感じることがあります。
それは、介護の正しい終わらせ方ってどんなだろう?ということ。
そして
なぜ、介護にはグリーフケアがないんだろう?
ということ。
以前にも別の記事で書いたことがあるので被る部分もありますが、今の私の言葉で改めてまとめてみようと思います。
「介護」の範囲
そもそも、何をしていたら介護をしている、と言えるのか、どこまでが介護になるのか?という話になるんですが…
世間一般的には、「介護=身体介護」をイメージされることが多いと思いますが、実際には、日々の見守りや病院の付き添い、話し相手など、日常のお世話なども「介護」に含まれるとされています。
この考え方を基本にすると、
「亡くなったら終わり」
なんて簡単は話しではない。
と私は思うのです。
要介護者が亡くなったとしても、先に述べたように、介護に付随する様々な雑務が残っている間は、介護が終わったとは言えない、そう私は考えています。
きっかけ
母の衰えはもちろんのこと、それとは別に、私が「介護の終わり」について真剣に考えるようになったのは、ある出来事がきっかけでした。
①車いすの交換
母は、昨年、体調を崩したことをきっかけに、車いすに座位を保ったまま乗ることが難しくなりました。
そのため、長年利用してきた車いすから、リクライニング機能付きの車いすに交換したのですが、
利用していた車いすを返却する時にものすごく寂しさを感じたのです。
母は生きているし、別の車いすがやってくることはわかっているのに、
なぜか、これまでのことが走馬灯のように頭に映し出され、込みあげるものがありました。
業者の方に「この車いすには本当にお世話になりました。」と挨拶して返却した際、うるうるとしてしまった程です。
もし母が亡くなったら、こうやって一つずつ返却していくのか…
この時、私は初めて「介護の終わり」を疑似体験したのだと思います。
そして、同時に、ものすごい寂しさと母がいなくなってしまうことへの不安を感じ始めました。
介護は終わって欲しい、でも、母がいなくなってしまうのは嫌だ、そんな矛盾した感情が自分の中に湧き起こりました。
②人や場所の区別がつかなくなる
上と同じ体調不良がきっかけで、認知機能も著しく低下してしまいました。
これまで、看護師さんや介護スタッフの区別がつかないことはあったものの、私や娘(孫)のことはしっかり認知していました。
家とデイサービス、場所も区別も出来ていました。
しかし、体調が回復した母は、私を認知しなくなりました。
知っているけれど、名前は出てこない。
知っているけれど、誰かを特定することは難しい。
そんな様子でした。
母は自発的に喋ることはないので、口に出して「あなたは誰?」などと言われることはないのですが、
私を見る母の表情や目から「誰かしら…?」という感情が伝わってくるのです。
どうやら、私のことは、看護師さんの一人だと思っているようでした。
私の存在が
母の中から消えてしまった…
そう思った時、ものすごく悲しい気持ちになり、これから、母の介護にどんな心境で向き合えばいいかわからなくなったのです。
たまたま、私はこの気持ちを解消することが出来たのですが(下に書きます)、ショックを受けた出来事の一つでした。
介護の終わり
介護のイメージは、ほとんどの方がツラくて苦しいものを想像すると思います。
「この介護、いつまで続くの?!」
と絶望を感じている方もいると思います。
「早く終わってラクになりたい…」
そう考える方もいると思います。
…が!!
じゃあ、「介護の終わり」っていつだと思いますか?
どうなったら、介護が終わったと言えると思いますか?
多くの方が、「要介護者が亡くなった時」そう考えることでしょう。
私もこれまでそう思っていましたが、今は少し違う考えを持っています。
要介護者が亡くなっても
介護は終わらない
そう思っています。
え?要介護者がいないのに、何が続くの?
そう思った方もいるかもしれませんね。
私がこのように考えるのにはいくつか理由があるので、一つずつ話していきましょう。
亡くなった後の対応
要介護者が亡くなった後、葬儀の手配、役所への手続き、親戚対応など様々な雑務に追われます。
と同時に、利用していた様々な福祉サービスを終える為の手続き。
立ち代わり入れ替わり人がやってきて、しばらくは忙しい日々が続きます。
亡くなった後のこととはいえ、要介護者が亡くなったことに付随するものならば、これも介護の一部なのでは?と私は思うのです。
喪失感と罪悪感
介護が終わってホッとしているだろうね。〇〇さんも、やっと落ち着いて過ごせるね。
介護が終わると、周囲の方はこのように考えると思います。
しかし、いくら介護生活が苦しいものだったとしても、人が亡くなったわけですから、少なからず喪失感というものはあって当然です。
一人で思い悩んだり、心がザワついたり、しばらく抜け殻のように過ごしていた、という声も実際聞いたことがあります。
24時間、休みなく常に要介護者と向き合い、介護に全精力を注いできたからこその感情です。
介護をしていた頃の自分を責めたり、罪悪感や後悔など、心の整理がついていない間は、
広い意味で考えればその人の中では「介護が続いている状態」と言えるのではないかと私は思います。
自分の人生を見失う
要介護者が亡くなって介護が終わると、周囲の人々は「お疲れ様!よくやったね!」という労いの言葉と共に、
「ここからはあなたの人生を生きるんだよ」的なことを言うのではないかと思います。(私はまだ未経験なので予測でしかありませんが…。)
でも、他人にそう言われて、「よし!自分の人生を生きるぞー!」とすぐに気持ちを切り替えられる人はどれだけいるでしょうか。
前に述べたように、喪失感や脱力感に襲われている方も多くいるでしょうし、
頭ではわかっていても実際に行動を起こして、すぐ現実を切り替えていける人ばかりではありません。
また、ケアラーは介護に全力投球するあまり、気づかない内に自分を見失ってしまっている可能性もあります。
私もそうでしたが、生活をまわすためには「自分のことは後回し」が基本です。
自分の欲求は満たされないもの。
むしろ、「欲求なんてそもそも持ってはいけない」そんなふうにすら思っていました。
自分の食べたいもの、やりたいこと、言いたいこと、買いたいもの、行きたいところ…
様々ことに「今は考えちゃダメ。」と蓋をしてしまいます。
その内、自分が何が好きだったのか、趣味はなんだったかも忘れてしまうのです。
透明人間のように生きながら、介護や子育てと向き合ってきて、突然、
はい、今日から自由です。
好きなように生きていいよ!
と言われても、長年しみついた生活パターンを崩すのは意外と難しいものです。
このように、介護によって「自分の人生の生き方」を忘れてしまい、
それが原因で、社会復帰がスムーズに出来ない、ということもあるのではないかなと感じています。
それまでの要介護者を中心とした生き方から、自分自身を中心にした生き方へとシフトしていくための期間が必要で、
その移行期間中は、まだその人の中では「介護が続いている状態」だと私は思います。
相続や家の後始末
親が亡くなった後にやらなければいけない事は、葬儀の手配だけではありません。
相続に関して、姉弟や親戚との話し合いがスムーズに進めば良いですが、
「争続」という言葉があるように、中にはここで揉めてしまい、精神をすり減らしてしまうこともあると思います。
また、親が住んでいた家の後片付けもしなくてはいけません。
荷物の片付けを業者に頼むと、数十万円、下手すれば100万円近くの費用が掛かります。
建物も解体して撤去するとなれば更に費用がかかります。
解体せずに売却するにしても、手続きに相当な時間と労力を取られるでしょう。
これらは直接介護とは関係のない話なので、見過ごされやすいですが、介護と非常に密接な関係のある事柄だと思いますので、これらも介護の続き、と言えると私は考えています。
始まりも終わりも突然
今の日本には、「介護を始める人への支援」というものがほぼ存在しません。
母のように疾病で入院していた場合、退院する際に簡単なレクチャーを受けることはあるかもしれませんが、
認知症から少しずつ症状が進行するような場合には、ほぼ自己流で介護をマスタ-していくしかありません。
オムツの履かせ方、オムツの種類、今の親にはどんなオムツが合っているのか、など、なにもわからないのに、
これからは、オムツを利用して下さい。
とだけ言われたり。
どのようにすれば徘徊を防止できるのかもわからないのに
徘徊しないように対策して下さい。
とだけ言われて、寝ずの見張りをするしかなかったり。
いくら暴言を吐かれても、
認知症ですから…怒らないで優しい心で見守って下さい。
と言われ、ケアラーがどれだけ傷ついてもそこへのケアは提供されません。
このように、なんの事前準備もなく突然介護がスタートしたかと思えば、
今度は、ある日
今日であなたの介護生活は終わりです。お疲れ様でした。
どうぞ、これからはあなたの人生を自由に生きて下さい。
と告げられ、突然介護が終了するのです。
よく知る家族とはいえ、人一人分の命を託されるわけです。
介護のために仕事を辞めたり時短にしたり、転職する方もいます。
自分のキャリアや夢を後回しにして、介護に向き合おうとする人、向き合ってきた人がそこにはいます。
介護を理由に働けていない期間が長ければ長い程、社会復帰への道も難しくなるのが現実。
私も、出産を機に離職し、そのまま介護が始まったので10年近く働いていませんが、この10年は社会から見れば「無職」なわけです。
いくら命と向き合ってきたとしても、今の社会からは、価値も意味も見出されません。
やって当たり前のこと、という感覚を持たれているように感じます。
本当にこれでいいのでしょうか。
介護に携わる人に対しての配慮やケアが、今の日本にはあまりにも欠けているように、私は感じています。
症状の進行の見守る側へのケア
母が私の存在を忘れてしまった話しに戻りますが…
こういった時、現状、ケアをしている人が気軽に相談できる場所はほとんどありません。
認知症なんだから忘れるのは仕方ない
そう思っている人もいると思います。
でも、いくら高齢や病気だったとしても、大切な人に、自分の存在を忘れられるって結構ショックなんですよね。
そう簡単に受け入れられるものではないな、と私は身をもって実感しました。
偶然にも、私には介護職や看護師をしている友人がいましたので、その友人に話しを聞いてもらうことが出来ました。
彼らがいなかったら、もっと深く、長い期間悩んでいたと思います。
その時、看護師の友人からのアドバイスで知ったのが、「認知症の方は、違う時代を生きている可能性がある」ということ。
「今の時代の“娘”としては認知できていなくても、違う時代の友達や、親戚、姉弟として認知していることもある。あなたが大切な人であることには変わりないんだよ」
と友人は言ってくれました。
そのおかげで、私は、
母の中に、どんな形でも私がいるのならそれでもいいか。
と思えるようになり、寂しさや不安を和らげることが出来ました。
今、母は、自宅もわかっていません。
自宅もデイサービスも同じ場所だと思っているようです。
でも、それを悲しく感じることはありません。
デイサービスがそれだけ心穏やかに過ごせる場所なんだと思えば、それはとても幸せなことだから。
私は、たまたま、専門的な知識や経験のある友人に、相談することが出来たからよかったですが、
ほとんどの方は、この感情に一人で向き合うことになるのだと思います。
この状況で、もし、「お前は誰だ!」「ここはどこだ!!」などの暴言などがあったら…と思うと心身共に耐えがたいものだと思います。
介護の悩みは、いわゆる「愚痴」や「鬱憤」のようなものとして捉えられがちですが、
こういった症状の変化を目の当たりにすることで感じる「不安」や「悲しみ」「寂しさ」なども存在するということを知って欲しいなと思います。
そして、そういった方に対する心のケアが出来る体制が整っていくといいなと思っています。
介護のない生活
例えば、要介護者が亡くなると、様々なサービスの解約手続きやレンタル品の返却が始まります。
サービスを利用する方がいなくなったわけですから、事業者側からすれば当然のことです。
車いすや、介護ベッドも、あっという間に部屋からなくなります。
すると、「ここは本当にいつもと同じ部屋なのかな?」と疑ってしまう程に、部屋が広く、大きく感じることでしょう。
そこで、介護が終わったんだと理解し、解放感や安堵感を得られれば良いですが、
中には、その空いたスペースに虚無感や喪失感を感じてしまう方もいるのではないかと思うのです。
また、つい時間になると「オムツは…」とか「食事が…」と介護のことを思い出したり、必要ないのに、要介護者が好きだった食べ物を買ってしまったり…。
そんな日常の些細なことに、心を揺さぶられながら、少しずつ家族との別れを受け入れていくのだと思いますが、
そもそも、一人で頑張って乗り越えるべきものなのでしょうか。
一人で浸りたい方もいれば、誰かに話しを聞いて欲しいと思う方もいるのではないかと思うのです。
亡くなった話なんて暗い話題だから申し訳ない…
当事者にそう気を遣わせるのではなく、悲しみや苦しみを分かち合える寛容な社会であったらいいなと思います。
グリーフケアの必要性
今の介護には、俗にいう「グリーフケア」がありません。
その理由は、人はみな最期を迎えるものだという認識があるからだとある程度の予想はつくのですが、
それ以外にも、感情を表に出さない日本の文化も影響しているように私は思います。
人前で泣くことは恥ずかしいこと
いつまでもクヨクヨしていてはいけない
感情をコントロールできないのは半人前
子供の頃からそのようにしつけられて育ってきた私たちですから、大人になっても当然そのままですよね。
災害時の日本人の対応が、海外から賞賛されるのがいい例ですね。
自分の感情を抑えることに関しては、世界トップクラスだと思います。
どんなに苦しい時でも、他人に尽くせるのが日本人。
でもこれは、自分の感情を吐き出して、向き合って、受け入れて、癒していくプロセスを経験した人が少ないことを意味するのではないか、と私は思います。
ましてや、自分の心のアンバランスさを乗り越えるために、他人を頼ったり、協力する、ということを経験した大人はもっと少ないでしょう。
それがたとえ、大切な家族との「死別」だったとしても、です。
若い夫婦や小さな子供との死別の悲しみは、きっと誰でも容易に想像がつきます。
じゃあ…
高齢の親との別れは悲しくない、
なんてことはないですよね。
病気や事故で家族を失うことは辛いことだと、きっと誰でも容易に想像がつきます。
じゃあ…
認知症や肺炎で高齢の親を失うのは辛くない、なんてことも無いですよね。
在宅介護の方は辛い別れで、
施設介護だったら辛くない。
なんてわけでもありませんよね。
もちろん、高齢の親の場合は、ある程度は亡くなることが予測ができますし、介護をしている以上、いずれは…という覚悟も出来ます。
しかし、介護の期間がどんなものであったとしても、命と真正面から向き合っていることには変わりないのですから、
要介護者が亡くなった後に、ケアを担っていた人が、気軽に感情を吐き出せる場、悲しみに浸れる時間があっていいのではないかと思うのです。
特に、ダブルケアラーのように、子供がいる場合は、亡くなった悲しみに襲われたとしても、
子供の前で泣くまいと必死に気持ちを奮い立たせて生活を回している人も多いのではないかと思います。
故人への寂しさ、会いたい気持ち、申し訳ない気持ち、そんな様々な感情が自分の内側に沸き上がっても、グッと堪えて、
笑顔のママ、頼りになるパパを演じることで、悲しみを一人で乗り越えようとしている人が大勢いるのではないかと思うのです。
長ければ10年以上、自分の時間と労力を注ぎ込んできた相手が亡くなり、
ある日、自分の視界からパッと姿が消えてしまうことに対する心の整理は、想像以上に難しいものなのだと私は思います。
いつでも相談できる場所があったら、
心の内側を見せられる人がいたら、
心のお守りになって安心できる人がいるんじゃないかな、と私は思います。
ダブルケアカフェの存在
これまでに書いたようなことを、先日、DC Networkさん主催のダブルケアカフェでお話しさせてもらいました。
他の参加者の方に私の悩みを聞いてもらうだけではなく、同じ状況を経験したことがある方からのとても貴重なアドバイスもいただけて、心が軽くなりました。
DC Networkのてらりんさんを始めとするスタッフの皆さんが作り出すその場の空気も、本当に温かくて心地が良かったです。
さん
例え介護が終わっても、気持ちの整理がつくまで、いつまでも、何度でも、参加していいんですよ。いつでも待ってますよ。
とおっしゃって下さって、これから迎えるであろう母の最期に、「一人で向き合う必要なんてないんだな」と思えましたし、
そういった場を提供してくれる皆さんに本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
このように、いつでも、安心して利用できる場が、全てのケアラーさんに提供されるようになればいいなと本当に思います。
仮に、亡くなったことで介護の負担から解放されたとしても、人の死を受け入れるには時間がかかります。
ケアラーとして背負っていた様々なものを下ろせた時、
「よし、自分の人生を生きよう」と気持ちの整理がついた時こそが、
本当の意味での「介護の終わり」だと私は思っています。
要介護者が亡くなったら、確かに「お疲れ様」だし、「よく頑張ったね」ではあるのですが、
その言葉だけで終わらせてしまってはいけないのだと思っています。
始まりがあれば終わりもきます。
介護の始まりについて考えるのと同時に、「介護の終わらせ方」についても考えていく必要があるのではないでしょうか。
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