2月はダブルケア月間
ということで、今回はコラボ企画です。
X(Twitter)で交流のあるPoka_Pokaさんと
ひとり親のダブルケア
について深堀りしていこうと思います。
Poka_Pokaさんのダブルケアは、子育てではなく、ご主人のがん闘病と親の介護から始まりました。
そう、ダブルケアは、
“子育てと介護”に限った話ではありません。
私は離婚、Poka_Pokaさんは死別。
理由こそ異なりますが、「ひとり親」でダブルケアと向き合う私たちの経験から、問題点や必要な支援を考えてみました。
「命」と向き合った11年間
まずはPoka_Pokaさんが経験してきたダブルケアについて、ご紹介します。
夫との別れ
当時横浜に住んでいました。
結婚して8年目、数年に渡る不妊治療の末に娘を授かりました。
しかし、産後2か月の時に夫が名古屋に単身赴任となり、産後の早い時期からワンオペ状態でした。
そして、娘が2歳の時、夫の肺に癌が見つかります。
これが、“夫の闘病と子育て”による私のダブルケアの始まりでした。
治癒の道を求め、いくつもの病院に行きましたが、医師から「あと数か月」との余命宣告。
本人には最後まで余命は伝えませんでしたが、今後の私を気遣うような発言もあり、気づいていたように思います。
それからは、思い出作りのために、夫の体調のいい日に、家族3人でいろいろな場所に出かけました。
この一瞬一瞬を全て残したくて、写真もたくさん撮りました。
今でも、よく娘と一緒に当時の写真を見ます。
娘は当時のことを覚えていませんが、写真の中にいる「お父さん」に愛されていたこと、今も、ずっと変わらず愛されていることが、娘に伝わっているといいなと思います。
母親が乳がんに…
夫が亡くなり、四十九日を迎える頃、実の母親(当時77歳)に、乳がんが見つかります。
半年前のがん健診では異常は見つかっていませんでしたが、判明した時には、77歳の母親が自分で触ってわかるほどに大きくなっていたようです。
乳がんの検査や手術、入院手続きなどで、週末になると2歳の娘を連れて、横浜と母の実家がある埼玉を車で往復していました。
この時から、今度は、“子育てと介護”のダブルケアが始まります。
母は抗がん剤治療を拒否。
2回の手術の後、通院で様子を見ることになりました。
癌で夫を亡くした直後に、また家族に癌が見つかったことに戸惑いました。
さらに、夫の癌は治すことが出来なかったのに、母の癌は治癒の道が残されている…
命の選別にもどかしさや何とも言えない感情が自分の中に沸き上がったのを覚えています。
父親が認知症を発症
翌年、娘は幼稚園に入園。
母も退院して自宅に戻り、日常を取り戻そうとした矢先、今度は父親に異変が起きます。
自宅の階段を何度も上り下りしたり、夜中に叫び出す等の異常行動が頻繁に見られ、老人性うつが疑われました。
症状は悪化の一途を辿り、次第に同居していた母の精神状態も不安定に。
家族で見守ることに限界を感じ、父の施設入所を決めました。
改めて検査したところ、老人性うつではなく、「認知症」と診断され、要介護1となりました。
入所後もしばらくは施設で暴れて大変でしたが、職員の方の理解と協力もあり、次第に落ち着いていきました。
私と娘、そして、サンタクロースに扮した父とで過ごした施設のクリスマス会は、数少ない、父との大切な思い出の一つです。
この時の父に、暴れていた頃の面影はなく、とても穏やかで楽しいひと時でした。
父親が緑内障により失明
施設にも慣れてきた頃、父は、緑内障により失明し、全盲になりました。
80歳という年齢で突然目が見えなくなった父は、ショックから症状が悪化。
再び施設で暴れ、私もその対応に追われる日々が続きました…。
きっと、施設に入る前から視力低下などの兆候はあったと思うのですが、私たち家族が気づくことは出来ませんでした。
というのも、父は眼鏡をかけていたので視力検査はしていたのですが、眼鏡屋さんでしか受けていなかったんです。
もし、眼鏡屋さんではなく、眼科で眼圧検査や視野検査なども受けていたら、もっと早く気づいて、進行を遅らせることが出来たかもしれない…と思ったりはします。
そして、父のことで忙しい私に追い打ちをかけるように、同じタイミングで、母親が圧迫骨折。
全治三か月の入院でした。
母の病院、父の施設、それぞれに必要な手続きなどのために、金曜日は娘に幼稚園を早退させ、横浜から埼玉へ車を走らせました。
土日で親のための用事を済ませたら、急いで横浜へ戻り、月曜日からはまた娘の幼稚園の一週間が始まる。
この時はとにかく疲れ果てていました。
幸い、今、父の症状は落ち着いて穏やかに過ごせています。
しかし、身体機能の低下も相まって、施設内での転倒が増えた結果、現在は要介護3。
トイレに行くにも介助が必要な状態で、施設からの電話が来ると、転倒の連絡かな?!とヒヤヒヤします。
このまま進行すれば、いつかは施設を変えないといけないのかもしれませんが、環境が変わりまた症状が悪化がするかもと思うと不安です。そもそも全盲の高齢者が入所できる施設が少なく、遠くの施設になれば面会も難しくなるので悩みどころです…。
自分も乳がんに…
娘が年長の時、自分も乳がんであることが判明します。
私の手術のために、一時的に娘を母に預かってもらいましたが、時を同じくして、母親も乳がんが再発。
私の退院と入れ替わるように、今度は母の抗がん剤治療と放射線治療がスタート。
私は、術後の痛みも残る時期でしたが、療養の時間を取ることなく、娘も幼稚園を休ませて母親の治療に付き添いました。
そして、母のがん治療が一段落してしばらくした頃、母にうつ症状が現れ始めます…。
母の精神状態が限界に…
うつ症状が出てからは、ネガティブな発言が増えていきました。
翌月に娘の小学校入学を控えた3月。
今後の母の世話を考え、夫との思い出のある横浜の自宅から千葉へ引越しました。
さぁ、新転地でも頑張ろう!と思った矢先、事は起きてしまいました。
当時、兄と暮らしていた母ですが、
兄に黙って一人で家を出て、
川へ入り、自らの命を絶とうとしました。
幸い、近くにいた方が見つけてくれて一命をとりとめましたが、低体温症ですぐに病院に搬送。
そのまま精神科に入院。
さすがに、母の面倒をみることに限界を感じました。
これをきっかけに、精神科を退院した後は、母も施設へ入所させることを決めました。
しかし、実際に施設を探してみると、精神的に不安定な母を受け入れてくれる施設は簡単には見つからずいくつも断られました。
兄は話せば相談には乗ってくれましたが、基本的に施設の見学や問い合わせは私が一人でやらなければならず、
断られる度に「ここもダメか…」と落ち込み、精神的に大変苦しかったです。
母は、施設に入ることに納得していませんでしたが、心を鬼にして、半ば強引に入ってもらう形を取りました。
しかし、入所してからも「家に帰りたい」と頻繁に電話がかかってきて、しばらくは電話が鳴る度に憂鬱で対応に苦慮しました。
母は、当初は要支援2でしたが、圧迫骨折を繰り返した結果、現在は要介護2です。
精神状態も未だに波があり、ネガティブな発言も時折見られます。
その度にフォローが必要で、未だに私の気が休まることはありません。
私の母も、介護状態になる前、いつ自ら命を絶つかわからないような状態だったことがあります。実際に行動に移すことはありませんでしたが、毎日、今日が母の最後の日かもしれない、そう思いながら過ごしていたことを、Poka_Pokaさんのお話しを聞いて思い出しました。
兄が心臓の難病に…
唯一の頼れる(動ける)身内である兄にも、最近、心臓の難病が見つかりました。
現時点では、心臓移植以外に効果的な治療法がありません。
しかし、今の私たちが「心臓移植」いう道を選択するには、クリアしなければならないものがあまりにも多い。
幸い、今は投薬と定期的な受診をしていれば、仕事も出来ているのでもう少しこのまま様子を見ます。
今の私に、兄の面倒までは正直見れません。兄には、出来る限り自力で頑張ってもらいたいところです。
ここまで読んだ皆さん、お気づきでしょうか。
Poka_Pokaさんは、ご主人を亡くされて一番辛い時期でさえ、親の介護と子育てに向き合ってきました。
自身も乳がんの告知を受け、その気持ちの整理をするための時期や、術後で痛みが残る時期でさえも、親の介護と子育てを優先してきました。
悲しみを癒す為の時間も、心と身体を十分に休める時間も全く取れていないのです。
この11年間、Poka_Pokaさんは、たった一人で、家族みんなの「命」と向き合い続けています。
お話しを伺って、想像以上の過酷さに、私は何も言葉が出ませんでした。
Poka_Pokaさんが投稿されているお写真はどれも穏やかで、とても丁寧な暮らしをされていることが伝わってきます。
でも、表から見える“丁寧な暮らし”は、命の大切さや、家族で過ごす日常の有難さを誰よりも知っているからこそ、なのかもしれないなと感じました。
夫の闘病、娘の育児、両親の世話、自分の闘病…記憶が飛ぶくらいに、とにかく必死に走り続けてきました。
そう話すPoka_Pokaさん。
「若くして配偶者と死別する方は少ない。知ってもらえるなら…」
そんな思いから今回ご協力くださいました。
Poka_Pokaさん、大切な想い出とお気持ちを聞かせて下さって、ありがとうございました。
ここからは、私たち二人で話し合ったことをご紹介します。
ひとり親で大変だったこと
休みがない
兎にも角にも、これです。
自分の体調が悪くても、変わりがいないのでおちおち寝て休むことも出来ません。
可能なことは後回しにして休む時間を作ったとしても、結局後回しにした分を片づけるのも自分。
それを考えるとそれもまた憂鬱なので、結局、休まず過ごしてしまうことも多いです。
子供が小さい内は特に、子育てと介護から離れる時間を作りたくても、離れられないのが現実。
一人の時間がない
子供は可愛い。宝物です。
でも、交代してくれる人がいるのといないのとでは、やっぱり違います。
あと数時間頑張ればパパが帰ってきて交代してもらえる…
あと数日耐えればおじいちゃん/おばあちゃんが見てくれる!
そう思って頑張れる人もいると思います。
また、
次に一人の時間が出来たら〇〇に行って、××をしたいな。
そう楽しいことを考えて、乗り越えてきた人もいると思います。
しかし、ひとり親だと、そんな淡い期待を抱くことさえ出来ません。
何時間待っても、何日耐えても、「交代するよ」「ちょっと息抜きしてきなよ」なんて言ってくれる人はいないのですから。
子供の声が雑音に聞こえたり、かわいいと思えない時期がありました。
ひとりになりた過ぎて、わざと冷たい反応をして、一人で遊んでくれないかな…と思ったり。
でも結局泣かれたり、あとで罪悪感に駆られて落ち込む…その繰り返し。
外出は子供と一緒
幼稚園児や低学年だと、留守番が出来ないので、外出は必ず子供を連れて行かないといけません。
子供と外出するって、結構大変です。
一人なら30分で済むことも、子供が一緒だと平気で2,3時間かかったりします。
常に子供と一緒なので洋服の試着が出来なかったり、化粧品をゆっくり選べなかったり…小さなことですが女性としての楽しみに触れる機会も減っていき、地味にストレスになりました。
夏休みなどの長期休暇中の食事作りが本当に大変で…ちょっとだけ食材を買い足したい時もすごく苦労しました。
旦那さんがいたら、仕事帰りに頼んで買ってきてもらったり、子供を預けてサッと一人で買い物に行けるのに…。それが出来る人が羨ましいなとよく思っていました。
面会への配慮
平日の学校のある時間帯に行ければいいけれど、学校の予定や施設の都合で土日になってしまうことも。
土日は、どうしたって子供を連れて行かざるを得ません。
子供の体調次第では面会の再調整が必要ですが、コロナ禍以降、面会も予約が必要だったり、人数や時間制限をしている施設もあり、調整に頭を抱えている方もいらっしゃいます。
学校では、年中何かしらの感染症が流行っているので、面会予定の前は、子供の体調管理にも気を遣います。もし面会がきっかけで親に移してしまったら…という不安が常にあります。
通院が大変
ダブルケアをしていると、どうしても自分の体調管理が疎かになってしまいます。
特にひとり親だと、子供を預ける先がないので、必然的に病院へ行かずに市販薬で凌ぐことが増えていくのです。
また、要介護者の通院に付き添う際も、小さな子供を連れて行かねばなりません。
移動中や、診察を待っている間、ずっと子供と高齢者の両方の相手。
特に子供が病院内で機嫌が悪くなると迷惑がかかるので、おやつや遊べるものなども持っていくと必然的に荷物も多くなる。
精神面、肉体面、どちらの負担も大きく、通院介助をした日は他に何もする気になりません。
娘が不登校になってからは、市の集団検診にも行けていません。いつ自分の身に何が起こるか…という不安は常にあります。
コロナ以降、がんセンターへの子供の入館が出来なくなり、予約日時の調整がとても大変です。
学校の年間予定表と、これまでの傾向を踏まえて半年後の受診予約をします。でも、小学校の予定は直前で変わることがあるので、いつもヒヤヒヤ。
日にちだけじゃなくて、時間も重要。なるべく朝イチの受診にして下校時刻に間に合うようにしてます。
今は、高学年になったので、鍵を持たせて少し遅れても家で待てるようになったけど、やっぱりあまり長い時間一人にはしたくないので、気持ちがいつも焦っています。
こういう時、子供を預かってくれる親や家族がいたらなぁ…。
働けない
ひとり親だからこそしっかり働いて自立したい。
でも、ひとり親で、子育てと介護の両方を担っていると、どうしてもまとめて作業時間をとることが難しく、会社勤めに限らず、在宅にしても難しいところがあります。
在宅ワークは探せばいくつもありますが、多くが単発案件なので、継続性に乏しく安定した収入には程遠いのが現状。
夜間に働けば…と思っても、寝ずに働き、自分の体調を崩してしまっては元も子もありません。
それこそ、頼れる家族がいない私たちにとって、自分が動けなくなることは一番避けたい。
家族を支えながら、自分の体も守り、且つ、経済面での不安を軽減出来たらどれだけいいか…。
両親共に施設(父有料8年目、母サ高住5年目)なので、年金だけでは賄えきれず、両親の貯金を切り崩して支払いしています。この生活が何年も続くのであれば、結果的に子供たちが金銭的負担をしなくてはならなくなる。子供の学費もかかる。だから、少しでも働きたいという気持ちもあります。とにかく、介護はお金がかかります。
ストレス発散の仕方
常に緊張状態の私たちですが、この生活を10年近く続けていると、皮肉なものでそれなりに日常を流せるようになっていきます。
諦めや開き直りのようなものかもしれませんが、それでも、ストレスを発散させることで、張り詰めた糸が切れないようにうまくやり過ごすことは大切です。
料理とウォーキング。
あとは、カフェ巡りが大好きです。
子供が産まれる前からずっと健康のために歩いていました。
娘が産まれてしばらくは中断していましたが、軽くお散歩程度には時間を見つけて歩くようにしていました。
知らないカフェを見つけるとちょっと嬉しくなったりして。
ここ数年は、娘とウォーキングイベントにも参加しています。
23キロのナイトウォークにも挑戦しました。さすがにこれは疲労感がすごかったけど、今やストレス発散の意味だけではなく、大切な親子の時間にもなっています。
歩き過ぎて逆に体に負担にならないように気を付けながら、これからも出来るだけたくさん歩こうと思ってます。
音楽を聴くこと、空を眺めること
ダブルケアになってから知ったのが「空」の素晴らしさ。
寝たきりの介護、不安症で外出が出来ない娘。
常に閉塞感があり、家に閉じ込められたように感じていましたが、Twitterで「#イマソラ」というタグを知ってから私の世界が一変しました。
知らない誰かが投稿する眩しい朝陽や、どこまでも透き通る青い空にどんどん魅了され、気づいたら自分もカメラを空に向けていました。
空の写真を撮るためには、上を向かないといけません。
それも、精神的にプラスに働いたように思います。
“自分の親”の介護
私とPoka_Pokaさんに共通しているのが、「自分の親」を介護していること。
自分の親の介護は、義理の親の介護に比べて気苦労は少なくて介護しやすいかもしれません。
でも、「自分の親」だからこその大変さがあります。
決して、子供が嫌いなわけじゃないし、母親を辞めたいわけでもない。
子供を産んだことを後悔なんて一ミリもしていない。
でも、たまに実家に帰省して、親に子供を預けて一人時間を過ごしたり、
親が作ってくれたご飯を食べたりして、ちょっとガス抜きをすることは子育てと向き合う女性にとって大切なこと。
また、体調不良時など、何かの時に子供を預かってもらえる親の存在は、出産後の社会復帰にも大きな支えとなるでしょう。
でも、私たちは、親を頼るどころか、親から頼られる状態。
ひとり親である私たちが、心を預けられる場所はありません。
「ただいま」と帰る場所もなければ
「おかえり」と迎えてくれる人もいません。
それが、ひとりで自分の親を介護するということ。
夏/冬休みの思い出が作れない
自分の親の介護の弊害、それは、やはり「帰省先がない」ということ。
帰省先の存在は、親だけではなく、子供にとっても大切な場所です。
子供に、「おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行く」という経験をさせてあげられません…。
そう、これなんです。
夏休み、冬休み、年末年始…おじいちゃんおばあちゃんの家に帰る方も多いと思います。
お年玉をもらったり、お祭りに行ったり、プール、遊園地、花火大会、すいか割り…
おじいちゃんおばあちゃんの家だからこそ出来ること、毎年楽しみにしていること、ありませんか?
そして休み明けには、友達同士で帰省先での思い出話しをしたり、授業で発表したりすることもあるでしょう。
私たちは自分の子供に、その経験をさせてあげることが出来ません。
子供たちの世界は大人が思っているより複雑。
おじいちゃんに遊園地に連れて行ってもらった
おばあちゃんにゲーム買ってもらった
そんな子供たちの何気ない会話に混ざることが出来ないので、親の知らないところで傷ついたり悩んだりしてはいないか、心配になることもあります。
学校行事は、なにかと両親や祖父母がいる前提の行事が多い。特に、敬老の日の工作や手紙などは本当に対応に苦慮します。主人が亡くなって年数が経った今、義理の両親との関わりはほぼありません。私の親も二人とも施設入所中で、気軽に何かを渡したり触れ合える環境にありません。それでなくても、娘には父親もいないことで我慢させてしまうことが多い。様々な家庭環境の子供がいることを、学校側にも知って欲しいなと思います。
ダブルケアと仕事
現状、ダブルケアラーの多くが、自分のキャリアを諦めることで介護や子育てと向き合っています。
いわば、誰かの人生を犠牲にしてやっと成り立っている状態。
でも、それを社会も容認していますし、そうすべきだと思っているところがあるように感じています。
だから介護離職に歯止めがかからない。
というか、社会は、本気で介護離職を止めようと思っていないのではないか、とすら感じます。
私は、過去に、ダブルケアをしている自分は、社会からすれば「生産性のないただのお荷物なのかもしれない」、そう感じたこともありました。
今は、介護や子育てに関わることが、社会進出の足枷になってしまっているように感じます。
ダブルケアだと、そもそもの働ける日数も少ないし、突発的な休みも多くなりやすいです。
会社を経営している方、一緒に働く方からすれば、それを迷惑だと感じることがあってもおかしくはありません。
急な休みが多いと他の社員に迷惑がかかるんだよな…
いっそのことやめてくれた方が助かるよ。
そんなに「大変」っていうなら家で専念すればいいのに…
そう思われる方も多いでしょう。
実際、振り回してしまったり、迷惑をかけてしまったり、手間を増やしてしまうこともあるかもしれません。
でも、介護や子育てをしながらでも、なんとか社会と繋がりを持とうとしている人がいることを知って下さい。
決してワガママに働かせてくれと言いたいのではなく、
社会との繋がりが、自分を保つ唯一の方法で、生きる力になっている
そんな人もいるということを知って欲しいのです。
今当たり前に働けている方も、いつ介護をする側になるかわかりません。
ダブルケアラーを「面倒な存在」としてではなく、企業の在り方や、従業員の働き方を考える良い機会だと前向きに捉える企業が増えてくれたら嬉しいなと思います。
過去、パートの面接を受けたことがありますが、「家族の都合で当日に突然休まれるのが一番困る。その時は、代わりの人を自分で探して。」と言われ断念。ダブルケアの自分と、社会との間に大きな壁を感じた出来事でした。
両親は施設に入っているし、子供は昼間は学校。一見、昼間に働けるように思えますが、自分も乳がんの闘病中なので無理は出来ません。施設には頻繁に日用品を届けに行かないといけないし、子供も体調を崩せば学校を休む。突発的な休みで迷惑をかけることが目に見えているので、余程理解のある会社でないと働くのは厳しいな…と思っています。
現在働いている方が、例え介護のために一時的に離職をしても、再就職がスムーズに出来る仕組みや、
休職中の給料の心配がなければ、今よりも穏やかに介護に向き合えるのではないかと思うのです。
とはいえ、先ほど述べたように、働いている方が心身のバランスを保てる場合もあります。
要は、働き続けるのか、休職して専念するのかを自分で選べて、それを尊重できる社会になったらいいなと思います。
介護や子育てに関わっている期間は、確かに、直接社会に貢献できることはないかもしれません。
でも、決して無駄に遊んで過ごしているわけでもありません。
社会活動を止めてまで、制限してまで、それらに向き合わざるを得なかった背景に目を向けてみて欲しいです。
介護や子育てをしていることが悪いわけでも、もちろん「その人」が悪いわけでもない。
介護や子育てをしている人でさえ、休まれたら困るような社会の仕組みそのものがおかしいんです。
もう個人の努力だけで解決できる範疇になく、社会全体の課題。
介護休業制度を国が用意していても、それが必要な時に、確実に、適切に、使用できなければ意味がありません。
制度は作って終わりではありません。
社会で、広く適切に運用させていくことの方が大切です。
介護が始まっても離職せずに働き続けられる社会。
妊娠・出産・育児を経ても、キャリアを諦めなくていい社会。
それらをどうすれば実現できるか、クリアすべき課題は多いと思いますが、だからこそ社会全体で考えていくべきだと思います。
次のページでは、二人で考えた「あったいいなと思う支援」をご紹介。
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