私は、娘が不登校になっても、一人で悩むことなく、孤立せずに済みました。
そして、様々な視点で物事を見れるようになりました。
それは、いつも近くに良き理解者がいてくれたから。
今回は、私たち親子に『新しい生き方』を教えてくれた人たち、そして、発達障害の理解・支援について思いを綴ってみようと思います。
学校以外の繋がり
小児科医
周囲の誰もが『もう少し様子見れば?』と言う中で、娘に深く関わってくれた唯一の人です。
娘の育児において、切っても切り離せないほどにとても大きな存在です。
幼稚園入園前に受診した時から、ずっと診てくれています。
問題なく幼稚園生活を送れている時でも、診察を途切れさせることなく、園での様子はどうですか?と尋ねてくれていました。
園生活は問題なくても、日常の偏食の相談や、文字の反転など、あれ?という小さなひっかかりを先延ばしすることなくその都度相談できる環境があったのはとても安心できました。
実際、年長から登園できなくなった時も、一年生で不登校になった時も、一人で悩むことなくすぐに相談できたので大変心強かったです。
【環境】を【子供】に合わせる
主治医が唱えているのが、病院・療育・教育機関・行政が連携することの必要性です。
病院のある地域では、既にこの体制が取られています。
しかし、全国的に見れば連携出来ている自治体は少ないのではないでしょうか。
(同じ千葉県でも、私の住む自治体では連携はされていません。)
病院だけ、学校だけ、療育だけ、行政だけ、で環境を整えたり、問題を解決することはできません。
それぞれの立場・言い分もあると思いますが、それを突き合わせて言い合っているだけでは何も解決せず、苦しむのは他でもない、子供たちです。
それぞれの立場で、それぞれに出来ることをうまく掛け合わせ、子供に合わせて環境を整えていく、という意識が、地域全体に浸透していくことが必要だと私も思います。
心理カウンセラー(小児科)
カウンセリング~心理検査~学校への文書作成までしてくれます。
検査の数値には出てこない困難さもキャッチしてくれる娘の良き理解者です。
不登校になってすぐ、カウンセリングを利用し始めました。
月1回、40分、母子同伴です。
最初は私が娘の状態を話すのがメインでしたが、回数を重ねるうちに次第に娘からも心理士に話しかけるようになっていきました。
【心理カウンセリング=話す】だけと思われかもしれませんが、娘の場合はちょっと違います。
トランプ・椅子取りゲーム・積み木・お絵かきなどをすることもあれば、病院の周辺(敷地内)を散歩したり、その日・その時に娘がやりたいことを可能な限り心理士が一緒にやってくれます。
過去には、カウンセリングルームでスライム作り(100均の)をしたこともありました。
低学年ということもありますが、適切な遊びを定期的に継続することで、娘は、気持ちを他人に伝えたり、感情のコントロールをしたり、コミュニケーションスキルを学んでいます。
言葉での表現が苦手だったり、心の病気も患う娘の全てを理解し、ありのままを受け入れてくれる心理士との時間は、私たち親子が心を整える大切な時間でもあります。
↓娘の心の病気についてはこちらをご覧ください。↓
医師からは、回数を月2回に増やしたり、母子分離したり、心理士と勉強の時間にしてもいい、と提案してもらっています。
今はまだ頻回の外出が厳しいことや、勉強への拒否感も強いので、もうしばらく今のやり方で様子をみますが、状況に応じて様々な利用方法を病院側から提示してもらえたことは大変有難かったです。
療育
小児科医と共に、学習障害や協調運動障害にいち早く気づいてくれました。
学校への指導も行ってくれる心強い存在です。
年中の冬頃から、月に1度、個別療育を受けています。
母子分離に強く不安がある娘が、唯一、私から離れることが出来る場所です。
【できない部分】ではなく、【出来たこと】【得意なこと】【本来持っている良さ】を認めて褒めてくれる療育施設です。
なにより、この療育と出会っていなかったら、〈学校に行かない生き方〉を肯定的に捉えることは出来ていなかったと思います。
時間は45分、娘と担当の先生だけで過ごします。
私は別室で待っているのですが、娘の笑い声がよく聞こえてきます。
療育後に、先生がやったことや療育中の様子を報告してくれるのですが、それが、いつも私に新しい気づきをくれます。
傍から見れば、ただおもちゃで遊んだり、ゲームをしただけ。
いつもの日常と何も変わらない。
でも、その中に、娘の良さや褒めてあげるべきことがたくさんあることに気づかされました。
この療育にいる間は本当に娘は伸び伸びとして自由です。
社会にうまくなじむために、これ以上傷つかないように、いくつもの鎧を着ることで自分自身を必死に守ってきた娘。
その鎧が、この療育に通っているとむしろ邪魔になってくる。
自然に鎧が脱げていき、どんどん軽くなっていく。
笑顔が増えていく娘を見ていると、そんな風に思います。
しかし、それは、療育施設が【鎧を脱いでも大丈夫!】と娘が思えるほどに安全で安心できる場所だから。
安全安心を感じることが出来ない学校で同じように出来るわけではありません。
それほどに、発達障害や不安が強い子供にとって、学校は心理的負荷が大きな場であるということなのだと思います。
介護サービスの人たち
娘が、幼稚園に行く前から関わりがあります。
私たち親子に優しく寄り添ってくれています。
不登校になっても、当然のことながら母の介護サービスは通常通り。
幼稚園の頃からでしたから、ある程度は割り切っていましたが、やっぱりそれなりに人目は気にします。
特に不登校になったばかりの頃は、平日の朝9時を過ぎても寝ていたり、パジャマのままだったり、ゲームをしたりテレビを見ている娘に対し、何か言われるのではないか?と思ったりもしました。
でも、介護サービスの方々は、何も言いません。
ニコニコしたり、機嫌が悪くなったり、隅に隠れてしまったりする娘を、そのまま見守ってくれています。
母の介護をしに来ているのだから当たり前なのですが、[なにも言わない]ことが、本当に有難い。
周囲や身内からも、何かと言われることが多い不登校。
時に、何も言わずにただいてくれる存在は、他の何よりも嬉しかったりするものです。
最期まで在宅介護をするつもりでいる私ですが、過去に一度だけ、母の施設入所を考えたことがありました。
娘が不登校になって間もない頃、
介護をしているから、不登校になったのでは…?
と言われたことがありました。
ショックでしたが、そう言われるとそれが本当のように思えてきて、母を入所させ、子供に全振りしようかと考えたのです。
もちろん納得してのことではありません。
なにが正解かわからず迷った中での一つの案でした。
そんな時も、ケアマネジャーが相談に乗ってくれたり、訪問看護師さんが時間を調整してくれたりして、ここまでやってこれました。
本当に母に関わる方々には感謝してもしきれません。
今となっては、決まった曜日に必ず来てくれる介護サービスの方々との触れ合いは、私たちにとっても貴重な外部とのコミュニケーションの機会になっています。
不登校の親の会
不登校になって間もない頃、Twitter経由で知った不登校の親の会へ顔を出しました。
同じように悩みを抱えた方々と直接顔を合わせて話すことが出来て、心が軽くなりました。
その場へ行ったことによって、繋がることが出来た方々もたくさんいます。
近隣で受けられる不登校支援やイベントの情報などを提供してもらえて大変助かっています。
WISCの意味
少し話題を変えて、心理検査について。
娘も、これまで様々な検査をしてきましたが、大切なことは、診断名や検査の出来不出来ではないと思っています。
その子の特性や性格、行動を理解することに、必ずしも発達検査は必要ないとも思っています。
そして、学校は、心理検査を家庭に依頼する以上、検査結果を適切に、且つ、迅速に学校生活に反映させる必要があると思います。
というのも、twitterでも良く話題になる
支援級を希望するならWISC
合理的配慮を希望するなら検査
というもの。
もちろん、WISCが受けられる状態ならば受けるに越したことはありません。
しかし、WISCがあろうがなかろうが、既に学校生活に支障が出ていたり、支援が必要な状況なのが明確ならば、検査をせずともすぐに支援や配慮を受けられていいはずです。
なのに、なぜか検査が先で、結果が出てからでないと配慮を受けられないケースが多いことに疑問を感じています。
特に問題なのは、検査しても支援に繋がらないケース。
失礼ながら言わせていただくと…
そもそも、WISCが、どんなものか詳しく知っている先生も決して多くないと思います。
知っていたら、簡単に検査を促すことなんてしないと思うんです。
だって、困っている子供に、更なる負荷を与える検査だから。
信頼関係もない、簡単な挨拶を交わした程度の他人(心理士や医師)と二人きりで、90分間ずっと問題を出され続けるのです。
学校の授業なら約2時間分。
その問題の多くは、本人の苦手とする項目が多く含まれている可能性が高い。
「テストじゃないから、わからない問題や出来ない問題があっても大丈夫だよ」と声をかけても、子供は頑張っちゃうんです。
その結果、高い数値が出ることも珍しくありません。
高い数値が出たらどうなるか…容易に想像できますね?
そう、『支援は必要ない』『配慮は不要』『頑張れば出来る』という誤った判断が下されることが非常に多い。
WISCの結果を、適切に支援に繋げることが出来る先生がどれだけいるでしょうか。
どんな検査をしても、それが支援に繋がらないのであれば、検査を受ける意味はどこにあるのでしょうか…。
検査の数値も、子供の困り感を全て表しているわけではありません。
数値には出てこない、でも、確実に困っていること、があるはずです。
数値が高ければ支援は必要ない、配慮は必要ない、というのはあまりにも無理があると思います。
検査には、費用も、時間も、子供自身の労力もかかります。
検査を受けるまでに何か月も待つことも珍しくありません。
その間も、子供たちは困り続けているのです。
検査を受けることで、少しでも良い方向へ動くかもしれない、子供の困難を解消できるかもしれないと藁にも縋る思いで受ける方がほとんどだと思います。
検査の結果を軽んじることは、
教師・学校自ら、
生徒を見捨てることと同じなのではないでしょうか。
幼稚園から行けなくなった娘。
なんとなく心構えは出来ていたものの、さすがに「義務教育」という言葉が重くのしかかり、気持ちが焦ることもありました。
しかし、なぜ学校にいけないのか、なぜ勉強を拒否するのか、娘の立場に立って理解しようとしてくれる方たちのおかげで、学校に行きなさい!勉強しなさい!と不必要に娘を責めることをせずに済みました。
学校という社会に馴染めなかったからといって、社会でやっていけない人間になると決まったわけではありません。
逆に、学校に行かなかったからこそ見つけられる新しい生き方、社会への参加の仕方があると信じています。
きっと、今の子供たちが大人になる頃には、今とは全く違う未来が待っているでしょう。
いつかの未来が、すべての子供たちが生き生きと過ごせて、自分らしさを存分に発揮できる世界であることを願っています。
外部リンク
病院や民間のカウンセリング以外の、地域の相談窓口は以下の通りです。
※主に千葉県/外房地域の情報になります。
コメント