突然ですが、9年前の皆さんは、どこで、何をしていましたか?
9年前、私は、娘を出産し母親になりました。
私は20代の頃から、身体の弱い母のために仕事をセーブしたり、逆に生活費のために仕事を掛け持ちしたりする生活でした。
出産する前から母の買い物に付き添ったり、病院へ連れていったりしていたので、今思い返せば出産と同時にダブルケアだったのだと思います。
もちろん当時の私はそんな認識は全くありませんが…。
とはいえ、母は、持病の関節リウマチ、脊柱管狭窄症、心臓病のいずれも手術・投薬治療が功を奏し、日常生活を送るには特別不自由なく過ごすことが出来ていましたので、そこまで負担になることもありませんでした。
腰の手術をしていることや、リウマチで足首に痛みが出やすいので、
天気の悪い日は外出しない
歩行時は重い荷物を持たない
など、私との約束をしっかり守って母なりに気を付けて生活していました。
いつかは車いす生活になるだろう…でも、「転倒さえしなければ大丈夫」だと思っていました。
しかし、まさか、脳出血で寝たきりになるなんて考えもしていませんでした。
今日までの9年間のダブルケアを振り返りながら、ダブルケアへの想いを綴ってみたいと思います。
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子供と高齢者の違い
たくさんの経験と学びを経て
一人で出来ることが増えていく子供。
それに対し、
これまでのことを忘れていき
人の手を借りることが増えていく高齢者。
ダブルケアの状態というのは、この真逆の現象が同じ空間で起こります。
オムツを外すためのトレーニングを子供にする傍ら、オムツに排泄をする母の下の世話。
子供にはテレビの時間を制限する傍ら、母のベッドサイドのテレビは一日付きっぱなし。
夜になっても目をギラギラさせている母を横に、子供を寝かしつける。
介護だけでも、十分大変です。
子育てだけでも、もちろん大変です。
どっちがと比較するものでも、優劣をつけるものでもありません。
ですが、それらを同時に経験した人にしかわからない苦しさ、辛さ、葛藤があるのも事実です。
子供から見た高齢者の生活
なぜ他人が家に出入りするのか、
なぜ毎日お風呂に入らないのか、
なぜご飯を食べないのか、
なぜずっとベッドで寝たままなのか、
なぜトイレに行かないのか、
なぜ人前で裸になってもいいのか、
なぜ夜に起きていても怒られないのか、
そして…
なぜ他のおばあちゃんと同じように動けないのか。
いくら一緒に生活しているとはいえ、要介護者の存在も生活も、娘からすれば全てがハテナ??だったと思います。
特に、娘は幼い頃から感受性が高く、不安になりやすいタイプだったので、
ママもいつか歩けなくなるの…?
大人になるのが怖い…
そう未来を不安に思い、誕生日がくるのを怖がるようになってしまいました。
誕生日が近づくたびに、嬉しさと同時に不安にも襲われる娘。
母の介護を隠すことも出来ませんし、母に、もう少し娘の前でうまくやって!なんてお願いすることも出来ません。
現在の生活を続けながらも、どう説明すれば未来を怖がることなく、現状を理解してもらえるか大変悩みましたが、とにかく、包み隠さず正直に話してきました。
人はいつでも
他人の手を借りて生きていること。
自分も誰かを助けることが出来るし、
助けてもらってもいいんだということ。
今が元気でも
いつ病気になるかはわからないこと。
例え動けなくなっても、
食べられなくなっても、
命ある限り一人の人間として強く生きていく必要があること。
きっと全部が正しくは伝わっていないと思います。
不安が強い娘には、酷で聞きたくないこともあったと思います。
それでも、小さな頭と心で娘なりに理解し、受け入れようと頑張ってきてくれたと思っています。
子供の前で泣いていい?
ちょっと話がズレますが…皆さんは、子供の前で泣いたことがありますか?
私は娘が8歳になるまで、娘の前で泣いたことがありませんでした。
もちろん泣きたくなることはたくさんありました。
でも、どれだけ介護で苦しくなっても
子育てでやるせない気持ちになっても
ダブルケアでくじけそうになっても
娘や母の前では絶対に泣かないようにしていました。
泣くなら子供が寝てから。
布団やお風呂の中で。
一人の時に。
そう決めていました。
それは、私が負の感情を溢れさせ、家族の前で取り乱せば、娘も母も困惑させ悲しい気持ちにさせてしまうと思ったからです。
娘や母に余計な心配をさせちゃダメ
笑顔のママでいないと…!
その思いで、当時は、必死に自分の感情に蓋をしてフラットに保っていました。
8年間、母親が泣く姿を一度も見たことがなかった娘には、「ママには涙がないのかな」などと言われ、
いつかママを泣かせて見せる!
しまいには、娘にそんな目標を掲げられる程でした。
でも、娘が不登校になり、不安症になってしばらくした頃、今後の話を娘としながら、どうしても私が涙をこらえることが出来ず、初めて娘の前で涙を流してしまったのです。
「しまった…」と焦る気持ちもありましたが、もういいや!と開き直って、娘と二人、泣きながら話し合い、
最後はハグをして笑顔に戻る…という出来事があってからは、私も、感情を出せるようになってラクに生きられるようになりました。
「ママを泣かせて見せる!」と豪語していた娘も、初めて見た母親の涙をからかうことも、驚くこともなく、ただ涙を流す私を受け入れてくれました。
子供の前で泣いてしまうことに申し訳なさや不甲斐なさを感じる方も中にはいるかもしれません。
でも、大丈夫。
子供たちはちゃんと受け止めてくれていると私は思います。
なんで大好きなお母さんが泣いているのか、
なんでいつも笑顔のお母さんが悲しそうなのか、
理由はわからなくても、いつも傍で見ている子供たちはちゃんと寄り添ってくれるし、涙を流すお母さんを嫌いになることもありません。
そんな時間も、大切な家族の時間。
自分以外の他人の心に触れる経験を通して、家族の絆、人と人の繋がりが強くなっていくのだと思います。
SOSに気づいて欲しい
当たり前ですが、ダブルケアラーも人間です。
いくら感情に蓋をしても、ロボットのようには生きられない。
心はブラックホールじゃないから、いつかは心の蓋も閉まらなくて溢れてしまう。
でも、ダブルケアをしていると、蓋から溢れていることにも気づけないことが多い。
そして、心にヒビが入っていることがわかっていても、心が粉々に砕けていたとしても、周りにうまくSOSを出すことも出来ないんです。
助けて…!と思っているのに、
大丈夫です。と言ってしまったり。
休みたいのに、動いてしまったり。
泣きたいのに、笑顔を作ってしまったり。
本音とは正反対の行動をとってしまうことが多い。
それだけ自分の痛みや、自分の感情に「鈍感」になってしまうんです。
「鈍感」になることで、介護も育児もうまくやれている!と自分を錯覚させているような感覚かもしれません。
だから、周りには、
大変だけどなんとかね…
うちなんてまだいい方だよ…
そうやって、引きつった笑顔ながらも、平気な自分を取り繕ってしまうことが多いように思います。
周囲にダブルケアの友人がいたら、表面上の姿だけで判断せず、その笑顔の裏に、元気な姿の裏に、SOSが隠されていないか、気にかけてあげて欲しいなと思います。
当たり前にするのは
「気持ちを我慢すること」
じゃなくて、
「気持ちを共有すること」
であって欲しいなと思います。
9年間での変化
この9年間、様々なことがありました。
一筋縄ではいかない娘の育児に奮闘し、
介護開始と同時に、娘に発達障害の診断。
娘の夜驚症や偏食に頭を悩ませ、
コロナ対応に、一斉休園。
休園がやっと明けたと思ったら、登園拒否。
支援学級へ入学したものの、不登校になり、
二次障害で不安症を発症。
そして、私自身の離婚。
非常に濃い9年間でした。
コロナがなかったら幼稚園の登園拒否をすることもなかったかな…
介護がなかったら違う人生もあったのかな…
なんて考えていた時もありました。
でも、今は、どれも必要な出来事だったと思えるし、後悔は一つもありません。
そんなジェットコースターのような生活を乗り越えてこられたのは、人に恵まれたから。
介護も育児も、初めてで、うまくいかないことだらけ。
介護はいきなり寝たきりスタートだし、子供は食べないし寝ないし不登校だし。
でも、介護サービスの方たち、小児科や療育の先生たちなど、常に支えてくれる人がいたことは本当に大きかったと思います。
暗い森にいたことは間違いないですが、迷子にならないように、常に照らして明日へ導いてきてくれる人がいたことに感謝したいなと思っています。
まだ介護生活は続いていますし、娘の状態も万全ではありません。
ワンオペであることにも変わりありませんので、心配なこともあります。
それでも、今が一番穏やかに暮らせているようにも思います。
親孝行とか家族愛とか…
「ダブルケア」と聞くと、どうしても大変さにフォーカスされますが、ツラくて苦しくて大変なだけ、なものでは決してありません。
子供と高齢者が同じ空間で過ごすことの意義は大変大きいとも思っています。
子供が高齢者に対して優しくなったり、医療や福祉が身近になったり、良い面もあります。
なにより、子供と親、二人の笑顔が見れると心の底からホッとするし癒されます。
ただ、在宅介護やダブルケアを美談にするつもりは全くありません。
たまたま、私と母の関係性が良かったから今の状態が成り立っているだけです。
介護は、それまでの親子関係が大きく関係してきます。
いくら親とは言え、「育ててくれてありがとう!」という気持ちを誰もが持っているわけではありません。
いくら親とは言え、「育ててくれた恩返しをしたい。」とか「親孝行をしたい」と全ての子供が思っているわけではありません。
直接介護をしないことにも、しないなりの理由があるのです。
“家族介護”と言えば、聞こえはいいかもしれません。
外から見れば、家族愛を感じられる光景かもしれません。
でも、幸せそうに見える家族介護の中には、誰かの幸せを犠牲にして成り立っている家族介護、が紛れているかもしれないということを忘れてはいけません。
母の状態も進行し、娘も成長した今、写真のような触れ合いの時間はどんどん減っています。
母は会話もほとんどしなくなり、人や場所の区別もつかなくなってきています。
それでも、母は、娘(孫)の声を聞いたり、姿を見るととても優しい穏やかな目をします。
母のことを、娘は『安心の塊』と言います(笑)
ベッドに母がいると、日常を感じられて落ち着くのだそうです。
「ババがお家にいるからね…」という言葉で娘には我慢させてきたことがたくさんあったと思うのですが、
娘の口からそう言ってもらえると、これまでやってきたことは無駄じゃなかったのかな…と思えます。
これからも、忙しさの中にある小さな小さな幸せの芽を、大切に育てていきたいと思います。
娘が大きく成長していく中で、おばあちゃんと過ごした時間が少しでも良い思い出になるように…
母が最期を迎えるその時まで、孫と笑顔で過ごせるように…
私はこれからも全力でダブルケアに向き合い続けます。
そして、ダブルケアで苦しむ人がこれ以上増えないように、
在宅介護で悲痛な思いをする人が増えないように、
微力ながら私に出来ることを少しずつしていきたいと思っています。
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