※雑記カテゴリーは、気持ちをただ書き連ねる「息抜きの場」にしたいと思っています。
他の記事とは違い、砕けた文章になりますが、ご理解下さい。
突然ですが、子育てをしていると、
自分がわからなくなることってありませんか?
私は、『ママ』になる前の自分を、どこかに置き忘れてきたように感じます。
変わることは悪いこと?
私は去年離婚したんですが、
離婚する前、
なんかさ…
昔と変わったよね。
だからなに⁉
しょうがないじゃん!
そんな会話がよくありました。
そう、自分でも出産前と変わったことはわかってるんです。
洋服にも美容にも気を使えて、
お出かけも好きで、
笑顔でいることも多かったと思います。
でも、それら全部を嫌いになったわけでも、興味がなくなったわけでもなくて。
とにかく、目の前のことをこなすことに精一杯だったというか…
約3年の不妊治療を経ての妊娠。
30歳で出産、33歳からの介護。
間もなく40歳。
社会に出ていれば、「女性」として一番キラキラ輝きそうな30代。(個人的な主観ですが…(٥ ˙꒳˙)゙)
その全てを自分以外の誰かのために捧げてきました。
自分がいなければ、
今日一日すら生きられるかわからない赤ちゃん
そして
自分がいなければ、
寝がえりすら出来ない高齢者を相手に
責任と重圧を感じながら必死に走ってきた結果の今。
ふと鏡を見て老けたな…と思ったり
荒れた手、皺の増えた手を見て歳を感じたり
白光りする白髪や抜け毛に落ち込んだり…
言われなくても、変化を一番身に染みて感じているのは私自身。
ただ、大切な命を守るためには、自分の欲求を消すしかなかったんですよね。
それを残念そうに『変わったね』と言われることは、
手を抜いている
女として足りていない
そんなダメ出しをされているような気がしてなりませんでした。
望んで子供を産んだんだろ?
在宅介護をやめればいい
と言われればそれまでですが…
そんな簡単な話でもなくて。
子育て中の孤独感や、
介護中のイライラは
なかなか言葉で表現するのが難しいところがありますね。
私の名前は「ママ」じゃない!!
昔、【名前をなくした女神】というドラマが放送されたのですが、知っていますか?
ほんとこのタイトルまんま。
母親になると、
○○くん、○○ちゃんのママ
という呼び方が多くなって、個人の名前で呼ばれることが減ります。
まるで私の名前が『ママ』にでもなったかのように感じました。
娘や夫からはママと呼ばれ、
園や学校からは苗字で呼ばれる。
生活の中で、名前である『みゆき』が呼ばれることは全くない(._.”;)…
次第に、『みゆき』という人間の存在が薄くなっていくような…消えてしまったかのように感じました。
介護や育児をしていても、働きに出て社会と関わっていれば、名前で呼ばれることもある。
仕事を任されることで、ママ以外の自分の存在意義も見いだせたりする。
でも、家にいて、介護や育児だけだと、その機会もなかなか訪れないんですよね。
自分自身を見失ったまま、月日だけが過ぎていく感覚は、孤独で…深い森を彷徨っているようでした。
やっと見つけた自分
そんな時、twitterを始めたことで転機が訪れます!
初めて登録した私のアカウント名…
『くも子』
闇深そうな名前でしょ?😂
今でこそ、空の写真をあげていますが、これは、虫の蜘蛛をイメージしての名前です。病んでますねー-ᴗ-)”
当時の私は、「頭痛い」「腰がいたい」そんなことをつぶやくだけでした。
それでも、次第に『くも子さん』と呼ばれることに違和感を感じるようになり、Miyukiと改名しました。
久しぶりに『Miyukiさん』と名前で呼んでもらえた時、懐かしさ、恥ずかしさ、嬉しさ…色々な感情が沸き上がったのを覚えています。
20代、30代と様々な経験をしました。
だいぶ長いこと、森を彷徨ったように思います。
でも、40歳を前にして、ようやく森を抜けたような気がしています。
夫に変わったと言われた
「今の私」も
夫にとってそう映っただけ。
私自身、今の自分も結構好きだなって気づいたんです。
そしたら、昔の自分を無理に取り戻そうとしなくてもいいかなって、
今の自分で、また始めればいいのかなって思えるようになりました。
母親としての私。
娘としての私。
どちらでもないただの私。
ぜんぶ、私。
見た目の年相応の変化を受け入れて、今の私を楽しんで生きていきたいなって思います。
Twitterも、アカウントを急に消したり、急に戻ってきたと思ったら不思議な話もするしで、戸惑っている方もいるかもしれませんね
でも、これが今の私です。
これからも、Miyukiをよろしくお願いします。
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