【後遺症】どうすれば受け入れられる?手も足も動かない現実

後遺症

突然ですが、みなさんに質問です。

ある日、病院のベッドの上で目が覚めたとします。

そして医師から、

あなたの首から下の体は全く動きません。

と突然言われたとします。

わかりました!
命が助かっただけよかったです。

そう素直にすぐに受け入れられますか?

もちろん、こんなドストレートな伝え方をする医師はいないと思いますが、「麻痺」という言葉を聞けば、本人も、家族も、すぐに理解することでしょう。

そして、きっと多くの方は、自分に体に起きた変化を素直に受け入れられないのではないかと思います。

今回は、残酷とも思える脳出血の後遺症と向き合う私たちを振り返ってみたいと思います。

動かない体

無事に手術を終え、一命を取り留めた時、私は『命が救えたこと』に安堵していました。

「後遺症」というものがあることは知っていましたが、そこまで考える余裕もありませんでした。

とにかく、命さえあれば…
とにかく、生きていて欲しい…
それしか考えていませんでした。

でも、そんなの、ただの自己満足だったことに後で気づかされます。

術後、急性期病院で3週間程過ごした後、酸素マスクが取れたタイミングでリハビリ病院へ転院したのですが、

急性期病院にいた頃は発症後間もないこともあり、本人の意識がハッキリしていない時間が多くありました。

母自身も現実をよくわかっていなかったのかもしれません。

しかし、リハビリ病院へ転院して、次第に意識がしっかりしてくると、色々と見えてくるようになります。

と同時に、母は、自分の変わり果てた姿にショックを隠せない様子でした。

信じたくない…

ここまで生きてきて、なんでこんなことに…

死んだ方がマシ…

面会の度に母からはマイナスな言葉が発せられましたが、私はどう声をかけたらいいかわかりませんでした。

『そうだね。辛いよね。』

なんて言っても所詮他人事だし、体が動かなくなった辛さが私にわかるはずもないのです。

かといって、

『そんなことないよ!動かなくなっても生きてるだけでいいんだよ!』

と思っていても、この状況ではそれもまたキレイゴトでしかないような気がして言えませんでした。

母を慰めることも、励ますことも出来ない自分が、ただただ虚しく感じたのを覚えています。

後悔?自問自答の日々

現実を受け入れられず葛藤する母を見続けている間に、私の中に一つの疑問が生まれます。

手術をして良かったのか…

命を助けたことは
本当に正しかったのか…

もちろん、倫理道徳的に考えればそれは正しかったと言えると思います。

でもそんな話じゃなくて…。

仮に、手術前にこうなることが母自身わかっていたら、それでも母は手術を希望しただろうか。

仮に、手術前にこうなることが私自身わかっていたら、私は手術を希望しただろうか。

仮に、あの時、手術をしないという選択肢があったら、私はどっちを選んだだろうか。

そんな「たられば」なことを、グルグルと考えていました。

助けない方が良かったのかもしれない…

次第に、私もそんな気持ちになっていったのです。

私が助けたせいで
母は不自由な体で生きることになってしまったのかもしれない。

私が助けたせいで
母は本来しなくてもいい苦痛を味わうことになったのかもしれない。

本当は、あの時、あのまま亡くなっていた方が、母は幸せだったに違いない。

もちろん、今の日本では安楽死や尊厳死が認められていないので、結局生きる選択肢しかなかったことはわかっています。

当時の私に責任など何一つなかったこともわかっています。

しかし、この現状は私にも簡単に受け入れられるものではなく、揺さぶられる感情の矛先が自分自身に向いていたのだと思います。

なんでこうなった?なんで助けた?本当にあれでよかった?と自問自答する日々がしばらく続きました。

ちなみに、この疑問に対する答えが出るのは、まだまだずっと先のことです。

自然の流れ

母が現実を受け入れる手助けをしてくれたのは、リハビリ病院のスタッフの皆さんでした。

いくら自分が現実から目を背けようとも、リハビリ病院に入院した以上、どうしたってリハビリから逃げる事は出来ませんので、

嫌でもリハビリに取り組んでいる内に、気づいたら現実を受け入れられていた…という感じでした。

また、看護師さんや介護士さんなどが、頻繁に話しかけて下さっていたようで、人と話すことが好きだった母にとって気持ちを切り替える良いきっかけになったのだと思います。

病院のスタッフの適切なフォローのお陰で、母は次第に明るさを取り戻していきました。

マイナスな発言ばかりだった母も、リハビリの一環として塗り絵や折り紙をしたり、

当時好きだった「SMAP」の音楽を流してもらったりして、制限のある中でも楽しみをなんとか見いだしていたように思います。

当時の母の楽しみの一つが、私が見せる娘(孫)の写真や動画です。

毎回、とても楽しそうに、嬉しそうに眺めていたのをよく覚えています。

失って初めて知る有難さ

母が倒れる二日前、私は娘を連れて母と一緒にショッピングモールへ出掛けていました。

母は、おもちゃ屋さんをウロウロする孫の後ろをついて歩き、楽しそうに話していました。

フードコートでお昼ご飯も一緒に食べました。

私も、娘も、母も、皆が笑顔で過ごした日でした。

その二日後、私たちの世界は一変しました。

自分の足で立ち、歩くこと。

食べ物を、口から食べられること。

一人でトイレへ行き、用を足せること。

多くの人にとって出来て当たり前のことが、どれだけ幸せで、豊かなことであったかを私はこの時思い知らされました。

高齢になると、親自身も、お隣さんやご近所さんが突然介護サービスを利用し始めたり、家族に介助されて歩く姿を目にすることも増えるでしょう。

そんな時、『あんな風にはなりたくないねぇ…』などと言っている場合ではないのです。

また、私たち若い世代も、高齢者を見て『お荷物』だとか『老害』だとか批判している場合でもないのです。

自分の親も、いつかは介護が必要になるのです。

なんなら、私たちもいずれは、誰かに助けてもらわなければいけなくなります。

自分のことを口うるさく叱ってくれるのも

食べ物やお金を仕送りをしてくれるのも

お正月やお盆に帰省できるのも

全部「今は、親が元気だから」出来ることです。

介護をされる側、介護をする側、どちらも自分に関係のあることだと真剣に捉えてもらえたらと思います。

介護の始まり

脳出血で倒れたことで本格的な介護がスタートしたわけですが、「ダブルケア」という言葉を知り、どんなものか知っていくと、介護はもっと前から始まっていたことに気づきました。

娘が生まれる前から、母の通院介助や買い物の付き添いなどをしていたのですが、

当時の私は、それを介護だと思ったことは全くありませんでした。

家族だから、親だから、やって当たり前だと思っていたのです。

妊娠中はさすがに母も気を遣ってくれて、付き添いはしませんでしたが、毎日LINEでやり取りをしたり、雨の日などはネットスーパーで買い物をしてあげたり出来る限りのサポートはしていました。

このように、介護に見えない些細な日常のお世話から、介護始まっているということに気付いて欲しいなと思います。

「介護」と聞くと、オムツ替えなどの身体介護をイメージする方も多いかもしれませんが、初期の内は、むしろ生活面のサポートの方が多いと思います。

介護している、介護を受けている、という自覚がどちらにもない、というケースが大半かと思いますが、

そういう場合は、外部に支援を求めるタイミングが遅くなりやすく、一人に負荷がかかり過ぎてしまうことがあるので、大変危険です。

もしこのブログを読んで、私そうかも…?とか、奥さんに頼んでたな…という心当たりのある方がいましたら、

自治体の窓口や、包括支援センターなどに利用できる支援サービスがないか、問い合わせをしてみるといいと思います。

今は別に困っていないです、という場合でも、今後症状が悪化した際などにどう対処すればいいかを事前に確認しておくだけでも安心に繋がると思います。

未来のためにできること

医学・医療の進歩に伴い、人の寿命は確実に伸びています。

しかし、その寿命を健康な状態で最後まで全う出来る人は、どれくらいいるでしょうか。

”ピンピンコロリ”が出来るならば理想です。

誰の手も煩わすことなく、誰のお世話になることもなく、人生を終えられたらどれだけ幸せなことでしょう。

でも、現実はそう簡単にはいきません。

私たちが一般的に考える「ピンピン」の状態。

それは、おそらく

体も心も健康そのもので、認知機能の低下もない。

近所づきあいもそれなりに出来る。

一人で一通りの生活が可能な状態をイメージすることが多いと思います。

では、現実はどうでしょうか?

体はピンピンでも、認知機能が低下し、道に迷ったり、適切な判断が出来なくなることがあります。

頭はピンピンでも、身体機能が低下して一人では歩くことが難しくなることもあります。

先月まで難なく出来ていたことが、今月には難しく感じることもあるかもしれません。

そう考えていくと、多くの方が理想とする“ピンピンコロリ”はあまり現実的でないように思いませんか?

【終活】で自分が亡くなった場合にどうするか事前に決めるように、

【介護】が必要になった場合にどうするかをぜひ家族で話し合って欲しいなと思います。

人にお世話にならないような生き方もいいですが、

いつか誰かのお世話になるかもしれないことを前提として
一人ひとりが、未来のために今の自分にできることは何か、考えていく必要があると感じています。

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