一年生で不登校⁉7歳で人生に絶望した子供

色をなくした子供

娘の名前には『彩』という漢字が入っています。

真っ白なキャンバスに描かれるカラフルな絵のように、様々な経験をして豊かな人生を送ってほしいと思ってのことです。

しかし、不登校になった娘の世界は、

色がなくなってしまった暗い世界でした。

皆と同じことが出来ないから
私はダメな子。

私は頑張れない子。

ママ、こんな私でごめんね。

学校に行かなくなって間もない頃に、娘から発せられた言葉たち。

子供の心にできた傷は、大人が想像するよりも遥かに大きく、そして深い。

簡単に癒えるものではありません。

崩れ始める心

学校に行かなくなってからの娘は、これまで出来ていた様々なことが出来なくなっていきました。

医師に薬の服用を提案されましたが、今から薬は…という私の気持ちもあり、この時は見送りとなりました。

しかし、状態は悪化。

もはや学校がどうこうではなくなっていきました。

楽しく過ごしていても、ふとした瞬間に恐怖に襲われ、一瞬にして家の中が恐怖の場所に変わってしまう。

部屋の隅やテーブルの下、毛布の下などに隠れ『怖い、怖い…』と震えて怯えるのです。

その時の娘の姿は、今でも忘れることは出来ません。

悪化の一途を辿る

その後も心は深く、大きく崩壊し続けました。

外遊びが大好きでいつも笑顔いっぱいだったこれまでの娘は、もうそこにはいませんでした。

車に乗れば、車が事故に遭うのではないかと怯え、外出を嫌がる。

虫や鳥、動物に襲われるのではないかと怯え、玄関から外に一歩も出れなくなりました。(ライオンや象に街中で襲われると本気で怖がっていました。)

家の中にいても、誰かが侵入してくるのではないかと怯え、施錠を気にするようになりました。

夢の中で追いかけられたり連れ去られたりするので寝るのがこわくなり、布団にさえ入れなくなりました。

薬を使う意味とは

安心安全な家の中ですら怯えている状態の娘に、初めて「抗不安薬」が処方されました。

本来、7歳の子供には縁のないような薬です。

半錠飲んで、眠気などの副作用が強いようなら即中止との指示がありました。

薬を受け取ったものの、7歳に、抗不安薬を飲ませることは、とてもとても悩みました。

それは、自分が20代の時にパニック障害となり、薬を服用した経験があるからです。

抗不安薬

自分の経験から、安易に薬に手を出すのは危険であることは理解していました。

しかし、怯えながら生活させることも、薬に頼らず自力で乗り越えさせることもそれはそれで酷なこと。

薬の力を借りることで、せめて家で笑って過ごせるなら…という思いから、服用してみることに。

朝に飲んでしばらくして、「眠い…」とゴロゴロし始め、結局、夕方まで布団から起き上がることが出来ませんでした。

実際、不安感は和らいだようですが、その顔に笑顔はなく、布団に横たわってただテレビを眺めているだけ。

学校にも行けないし

やりがいこともない。

これでラクになるなら飲み続けてもいいよ。

そう言う娘の目に力はなく、夢も希望もなくしたようでした。

本当にこれでいいのか?

娘にどうなって欲しいの?

と、とても悩みました。

薬を飲んでいない時の方が、まだ笑っていられる時間もあったように思えてくるのです。

薬が、娘の生活をサポートするどころか、娘の「自己」を奪っているように感じてくるのです。

翌日、医師と薬剤師に相談し、服用は中止。

代わりに不安を軽減する効果のある漢方が提案されましたが、娘が拒否したためそれも断念。

心理カウンセリングと娘自身の成長を見守ることになり、今に至ります。

親の理想≠子供の理想

私は、元気に外を走り回り、太陽のような娘が大好きでした。

娘もあの頃に戻りたいだろう、と本気で思っていました。

あの時みたいに
また外で遊べるといいね!

と、娘に言ったことがあります。

でも、娘の反応は全く予想にしないものでした。

私は今のままがいい。

あの頃に戻りたいと思えない。

外で遊べないとダメなの??

と返され、ハッとしました。

『あの頃』に戻そうとすることは
親のエゴなのか?

親の理想を
押し付けているだけなのか…?

そして、私は気づきました。

親にとっての良い思い出である
『あの頃』が、

子供にとっても良い思い出であるとは限らない。

ということに。

これまでの娘はそのままに、新たに一から子育てをし直す必要があると感じました。

それ以来、今の環境が安心して娘らしくいられるのならばそれでいい、と思えるようになり、

【今までの娘はこうだった】という見方から、【現在の娘がどうか】で見ることが出来るようになりました。

日中の過ごし方

不登校になって間もない頃は、昼夜逆転しないように…勉強が遅れないように…外部との繋がりが途切れないように…と試行錯誤の日々でした。

『義務教育期間中は、学校に行って当たり前。行かせるのが親の責任』という認識の中で、自分の子供が学校に行けない現実に葛藤しない日はありませんでした。

周囲の反応

学校を休み始めた時にも言われ、

長期化すれば言われ、

やっと親子で穏やかに過ごせるようになった頃にも言われ、

常に周囲からのプレッシャーや心無い言葉にさらされ親の心も疲弊しやすい不登校。

適応指導教室へ行ったり、タブレット教材を試したり、フリースクールやオンラインスクールに誘ってみたりもしましたが、どれも長続きしなかったり、興味すら示さなかったりで良い結果には繋がりませんでした。

次第に、『あ、もういいか。見守ろう。』と、一歩引いてみることが出来るようになりました。
(経験した人なら、この感覚はなんとなくわかってもらえると思います^^;)

今、娘は日中はYouTubeを見たり、絵をかいたり、ゲームをして過ごしています。

勉強は拒否が非常に強いため、何もしていません。
ただ、Twitterで知った『触るグリフ』のみ継続しています。

夜は11時頃寝て、朝は8時~9時ころ起きます。

傍から見れば、『放置している』『諦めている』『何も対処してない』ように見えるかもしれませんが、それは違います。

うまく説明できませんが…

本当に守るべきこと、優先すべきことに気づけたからこその「見守り」だと思っています。

心と向き合う期間

私は、学校に行けていない今の期間を、『不登校』というより、『休養・療養』と捉えています。

学校に行っていない、だけではないから。

苦しんで、もがいて、自分を傷つけて、必死に生きています。

大人でも、うつ病や適応障害になると『休職』することが可能なのに、子供にはそういった制度はありません。

基本的に風邪や疾病でなければ、平日5日間休まず登校することが前提です。

これだけ日常生活に支障が出ていても、心の不調は病気とも捉えられず、なんなら「頑張りが足りない」「根性がない」と捉えられることさえあるのです。

子供にも、休む自由を与えられないものなのか…と思ったりします。

娘さんには、苦手なことに
向き合う力が足りません。

学校で嫌なことがあるのは
当たり前です。

それを乗り越えていく心を育て、
評価していくのが学校です。

そう言われたりもしました。

しかし、乗り越え方も、乗り越えるタイミングもみんな同じとは限りません。

心を蝕むほどに追い込んでまで乗り越えさせようとすることは、リスクでしかありません。

小さな変化

未来

現在も、突如として襲ってくる得体のしれない恐怖感は続いていますが、『覗かれている』と怯えるようなことはなくなりました。

娯楽目的の外出もほとんど不可能で、通院や療育など最低限です。

シャワーですら毎日することは出来ません。

それでも、日中、家の中で笑顔で過ごせる時間が少しずつ増えてきています。

薬のおかげで夜はしっかり眠れるようになりました。

トイレも一人で行けるように頑張っています。

音の敏感さも和らぎ、イヤーマフを持ち歩くことも減りました。

自分の描いた絵を破り捨て『もう絵なんて描かない!!!!』と涙を流していた娘が、タブレットで絵を描き始めました。

オンラインゲームで、チャット上で他人とコミュニケーションを取り始めました。

YouTubeを見たり、ゲームをして笑えている時間、それは娘にとって心が安らいでいるということ。

この安らげる時間が、学校でリアルな友達と触れ合う時間に変わったらどれだけいいか…と思ったことは数知れず。

しかし、学校は娘にとっては苦痛を伴う場所・時間です。

そして、実際に苦痛を経験した場所として今もなお心に深く刻まれています。

学校なんて行かなくていい?

これは、違います。

行けるなら行った方がいい。

でも、娘と向き合う中で感じたのは、

『小学生』には誰でもなれる。
しかし
『小学校』に通い続けることは
誰もが可能なことではない

ということ。

言ってしまえば、

心を削ってまで
命を懸けてまで
行かなければいけない場所ではない。

それが娘と向き合ってきた私の答えです。

学校だからこそ経験できることはありますが、学校でしか経験できないことなんてないと思っています。

学ぶって面白い!

人と関わるって楽しい!

わかる・出来る・伝わるって嬉しい!

そう感じることが出来る場所は、学校だけではないと思っています。

もちろん、基礎・土台という意味では大事な期間であることはわかっていますが、

心が疲れちゃった。

死んだら何も考えなくて良いなら
それも悪くないね。

なんて7歳の子供に言わせるような、今の社会と教育に私は疑問を感じています。

こうなってしまってからでは、学校以外の場所にさえ、足を運ぶことは難しくなるのです。

家から出ることも
家族以外の人と関わりを持つことも
自分の未来を思い描くことも

出来なくなってしまうのです。

学校に行けたかどうかそのものは
言う程大きな問題ではなく

学校に行けない自分を否定したり
無理し続けて自己肯定感を下げてしまう

ことの方がよっぽど問題だと思います。

皆と同じに出来ないことを恥じたり、それを自分の頑張りが足りないせいだと必要以上に追い込むことは、本来必要のないことだと思います。

教室

ずいぶん前の何かのCMで、印象に残っているのですが、

日本で出される算数の問題の多くは、
【 5+3=□ 】
という問題の出され方をします。

しかし、世界のある国では、
【 □+〇 =8 】
のように問題を出すのだそうです。

日本の場合、
答えは一つしかありません。

間違えれば×です。

しかし、後者の場合、
答えは一つではありません。

1+7でも、0+8も、4+4も、2+6も、みんな〇です。

他にも、分数を混ぜたりして、複雑な式を考える子もいるでしょう。

でも、それでいいんじゃないかなって思うんです。

一つの答えを導き出すことは大切ですが、その過程、導き出し方まで一つにしてしまう必要はないんじゃないかなって思うんですよね。

子供の自由な発想に、そんな考え方もあったんだね!すごいね!よく考えたね!って言って、はなまるあげられるくらいの余裕が大人に必要なんだろうな、と思ったりします。

支え

これから先も、生きていれば、困難や壁は幾度となく訪れるでしょう。

それらは、娘が自分で乗り越えていくしかありません。

母親である私にできることも、多くはないでしょう。

それでも、少しでも娘の未来が明るく光に溢れたものであるように、様々な支援者の力を借りて出来る限りのサポートしていこうと思っています。

いかに娘が娘らしくいられるか、が大切だし、迷いながらでも力強く人生を歩んでいってほしい、ただそれだけを願っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました