【ディスレクシア】読み書きに困難を抱える子供たちを理解しよう

ディスレクシア、読み書き障害

きれいに書けるまで
正しく覚えらえるまで
何度も、何度もやり直す。

そんな、必死に読み書きと向き合う子供たちがいることを知っていますか?

今月は、

ディスレクシア啓発月間

ということで、特に書字に困難を示す娘のことを書いてみようと思います。

どなたかの参考になれば幸いです。

ディスレクシア月間について

LDやディスレクシアに関連する5団体が共同して、啓発月間を開催しています。

主催:認定NPO法人エッジ 共催:日本LD学会 全国LD親の会 大阪LDセンター 発達性ディスレクシア研究会

ディスレクシアって?

そもそも、ディスレクシアという言葉を初めて聞く方もいるかもしれませんね。

ディスレクシアとは、知的に問題はないものの読み書きの能力に著しい困難を持つ症状を言います。
充分な教育の機会があり、視覚・聴覚の器官の異常が無いにも関わらず症状が現れた場合に称します。
大脳の仕組みによってそのような症状が出ると考えられています。

ディスレクシアって? – 特定非営利活動法人エッジ NPO EDGE (Japan Dyslexia Society) (npo-edge.jp)
ディスレクシア | 国立成育医療研究センター
ディスレクシアは、知的能力の低さや勉強不足が原因ではなく、脳機能の発達に問題があるとされています。そのため発達障害の学習障害に位置づけられており、読字に困難があると当然ながら書字にも困難があるため読み書き障害と呼ばれることもあります。
ディスレクシアって? – 特定非営利活動法人エッジ NPO EDGE (Japan Dyslexia Society)

上の外部サイトの中にも記載がありますが、読み書きの困難さは、脳機能と関係があります。

決して、本人の頑張りが足りないわけではありません。

最初に書いたような不適切な勉強方法を続ければ、失敗体験や苦痛を伴う経験を重ねてしまい、

勉強への意欲を失うばかりか、自己肯定感を著しく低下させてしまうこともあります。

教師やクラスメイトとの関係が崩壊することもあるでしょう。

無理を続けた結果、精神的な不調をきたして不登校となってしまうことも十分に考えられます。

これからの時代は、一人ひとりに合った学習スタイルで学べることが、保証されるべきと感じます。

いつ頃気づいた?

娘の読み書きの困難さに最初に感じたのは、幼稚園の頃です。

年少のワークは、クレヨンで簡単な直線を書いたりするものでした。
この時点では抵抗はありませんでした。

年中からは、クレヨンではなく、鉛筆を使って円や複雑な形状の線を書くようになりました。

年中初期のワーク

そして、この線なぞりが終わり、ひらがなの練習が始まった途端、

自分だけ最後まで終わらない

何度も書き直すのが大変

そう訴え、書字への抵抗感や、苦手意識が現れ始めました。

下の写真を拡大して頂くとわかるのですが、何度も書き直している文字があります。

3歳前から発達障害の診断は出ていたので、娘の書いた文字を主治医に見せに行きました。

まだ年中ということもあり、診断には至りませんでしたが、学習症の可能性は十分に考えらえるとして注意深く経過を見守ることとなりました。

年中でのひらがなワーク

これは、就学前相談でも教育委員会の方へお見せしました。

そして、最初に言われたのは「年中でこれだけ書けていれば十分ですよ」というものでした。

そう、ここに、読み書き障害の落とし穴があります。

見るべき場所はそこじゃない

読み書き障害の落とし穴、それは…

すごく頑張れば、それなりの結果を
瞬間的には出せてしまうこと。

ただ…これを継続させることは簡単ではありません。

しかし、大人は出来た時の状態を評価しがちです。

前回と同じようにやれば大丈夫!

努力は裏切らないよ!

そう言われ続ける子供の心は、どんどん疲弊していきます。

先生に、「そんなの出来ません!」と言い返す子供はそういないでしょう。

だって、怒られたくないから。

やれ、と言われたら、やるしかない。

次第に、自分の気持ちを訴えることすら諦めていきます。

そうすると、「苦手なことにも頑張って取り組んでいる」と誤った評価が重ねられ、更に支援から遠ざかってしまうのです。

「言ってくれたらよかったのに~」
は大人のズルい言い訳です。

子供からすれば「言えるわけない」んです。

だって、「先生は絶対」なのですから。

結果良ければ全て良し

という言葉がありますが、読み書きに関してはそうはなりません。

きれいに書けた字や上手に読めた時だけで判断・評価をしないでください。

本当に見て欲しいのは、
本当に評価してほしいのは、
そこじゃないんです。

その字を書くのに、
その文字を読むのに、

どれだけ労力を要したか、
どれだけ疲労感を感じているか、
どれだけ困り感を感じているか、

にこそ目を向けて欲しいのです。

そして、表情やしぐさなど、
言葉以外のSOSのサインに気づいて欲しいのです。

声掛けの重要さ

娘が、年中という比較的早い時期に文字に抵抗を示した理由は、

見本通りに書けた字は
「かっこいい字」

見本より崩れた字は
「かっこ悪い字」

と園で指導されていたことが要因としてあると思います。

なんでも、年中さん辺りは、「〇〇が出来たら/出来るって、かっこいいよね」というのが誉め言葉として効く年齢らしく、園でよく使われていたそうです

園としては、「きれいな字を書きなさい!」なんて指導は一切していません。

先生も、そんなことは言っていません。

しかし、トメ・ハネ・ハライを説明した後、先生が整った字と崩れた字を書いて見せて、園児たちに問うのです。

その後に、「じゃあみんなも書いてみよー」と各々ワークに取り組むのです。

書くことが大変だと感じている子にとって、これは相当なプレッシャーだったはずです。

「かっこいい」が効くならば
「かっこ悪い」も同等に効く

ということも意識して、声をかけて欲しかったなと思ったりもします。

年長になる頃には、自分の字を家族以外に見られることを嫌がるようになっていました。

絵には自由があるのに
文字には自由がない。

そう言っていた娘の言葉がとても印象に残っています。

年長の頃の文字

小学生では、特別支援学級に在籍しています。

入学前から書字に拒否が強いことは話していましたが、教科書通りの授業が基本であり、最初から配慮をするとそれが当たり前になってしまうという当時の担任の考えから、特別な配慮はなされず、書字への困難さに拍車をかけたように思います。

タブレット教材

文字が嫌すぎて、鉛筆すら持つことが出来なくなっていた娘。

それでも、少しでも勉強を…とタブレット教材のスマイルゼミを試しました。

タブレットなら、鉛筆よりは書字の負担が軽減されるかなと思ったからです。

しかし、1年生の教材というのは、ドリルだろうとタブレットだろうと、結局は「ひらがなカタカナを書く練習」がメインです。

間違いを指摘するのが、人から機械に変わっただけでした。

もちろん、早々に解約となりました。(違約金…😿)

スマイルゼミに取り組む娘

視覚認知検査

読み書きについて判断できる検査をしたのは、1年生の秋。

既に不登校になっていました。

以前から、認知機能の弱さが指摘されていたこともあり、視覚認知の検査をしました。

視空間認知って?「見る」ことのメカニズム・検査・強化するトレーニング法、発達障害との関連について|ウーマンエキサイト
視空間認知とは、目から入った情報のうち、ものの位置や向きを認識する能力です。この機能は視力のよし悪しとは異なるもので、地図を読んだりぬりえをしたりするときに使わ...

千葉県浦安市のかわばた眼科で視覚認知検査を受けるのがベストでしたが、当時の娘には心身への負荷がかかり過ぎて、正確な結果が出ない可能性がありました。

ならば…ということで、通い慣れた療育施設にて、有識者立ち会いの元、病院で行う検査の簡易版を受けることにしました。
※簡易検査とはいえ、かわばた眼科の院長が監修された検査内容で、十分詳細まで把握することが可能です。

検査の結果、やはり発達の偏りが見られました。

視覚認知検査の結果
  • 注意集中
    見ることの集中 検査出来ず
  • 記憶課題
    見たものを記憶する力 やや苦手
  • 形状認識
    形を正確につかむ力 問題なし
  • 空間認知
    空間を捉える力 苦手
  • 運動
    見て処理する力 検査出来ず

詳細の数値は伏せますが、
「やや苦手」は平均値より少し下
「苦手」は平均値の半分~それ以下

とイメージしてもらえたらと思います。

「検査出来ず」は、娘の心身負荷により、見送った項目です。

項目別の結果

記憶課題/形状・組み合わせ・配置の記憶

概ね正確に回答するも、処理が多くなると曖昧になり易い。複数の情報を同時に処理することに苦手さがある。

形状認識/全体形状の把握,部分に分けての理解

形の違いや共通点をよく見つけられているが、処理が多くなると時間を要する。

空間認識/視覚情報を使った論理的操作

形がどう変化するか、書いていない部分がどのような形かを想像すること、全体を捉える事の苦手さがある。

その他の要因

上記以外にも、特に書字に影響を与えている苦手さがあることもわかりました。

目と手の協応運動

目で見た情報を、手に正しく伝達することの難しさ

発達性協調運動症(微細)

指先や手首動かしにくさ

これがどういうことかと言うと…

文字を見て、それがどんな文字かを認識・判別することは出来ます。

しかし、目で認識したその情報を、見たままに手に伝達することが出来ないのです。

少ない情報でなんとかそれっぽいものを書こうと頑張りますが、さらに指先の運動性の弱さから形も崩れてしまうというわけです。

日常で例えるなら…

パソコンのデータを印刷したい

プリンターへのデータ送信に不具合

(目と手の協応)

更にプリンターの調子も良くない

(協調運動)

印刷物の内容や体裁が崩れる

みたいな感じだと思ってます。

違ったらすいません

これら、複数の要因から、医師により「限局性学習症」と診断されました。

合理的配慮はズルい?

検査結果の提出と同時に、学校へ復帰した際の合理的配慮も申請しました。

しかし、当時の担任からは、

「一人だけ特別扱いはできない」
「他の子もして欲しいと言われると困る」

と言われ、校内で検討すらされませんでした。

これを言われると親としてはそれ以上何も言えなくなってしまうんですよね…。

みんなと同じやり方で出来ればなにも合理的配慮のお願いなどしません。

みんなと同じやり方では難しい。

それでも、みんなと同じように学びたいから申請しているのです。

そこまで大きなことをお願いしたつもりはありません。

・書く量を減らして欲しいこと
・書くための時間を多めにとって欲しいこと
・トメ・ハネ・ハライのミスを今は指摘しないこと

などです。

しかし、「支援級の他の子たちも苦手なことに取り組んでいますから、娘さんだけやらなくていいというのは出来ません。」

という担任からの回答に、学校への絶望と虚しさを覚えたのをよく覚えています。

音読の難しさ

娘は、「書字」への困難さは多くありますが、「読み」に関しては比較的良好と言われています。

しかし、じゃあ問題ないかと言うとそうではありません。直接ディスレクシアとは関係ありませんが、結果的に勉強に影響が出ているのでこちらに書かせて頂きます。

娘は、人前で話すことに非常に強い拒否があります。

診断こそされていませんが、場面緘黙症と似た状況だと思ってもらえればと思います。

1年生の支援級での国語の授業。

音読の時間、「はい、どうぞ。読んでください。」と先生に言われるのが恐怖だったと教えてくれました。

家でも、音読の宿題をやろうとすると、授業の時の怖さが蘇り泣いてしまうこともありました。

文字は読めるけど、声に出して表現することの怖さから、

声が小さくなったり、
聞き取りにくい発音になったり、
言葉に詰まってしまう、

ということがあります。

そんな時、先生方は

もっとハッキリ!

クラス全員に聞こえるように!

などと指摘しますが、これ、本当に逆効果なのでやめて頂きたいです。

通常学級に在籍しているお子さんであれば、より苦痛を伴うものだと感じます。

コロナが大流行していた時期、「音読の時間が減ったことが嬉しかった…」という声を聞いたことさえあります。

娘は、音読以外にも、挨拶や挙手・発表も苦手で、拷問に近いです。

もちろん、娘自身も言葉で伝えることの大切さをよくわかっています。

伝えたいことも娘の中にはたくさんあります。

だけど、どうしても、学校では体が言うことを聞いてくれないのです。

「口」があれば喋れる

という単純なものではないことを知って欲しいなと思います。

学校

学びの基本ともいえる文字の読み書き。

その読み書きを支える環境は整っているでしょうか。

理解は進んでいるでしょうか。

日本人なんだから、日本語は読めて、書けて、当たり前だと思ってはいませんか?

さらに、

頑張れば出来る

たくさん書けば覚える

努力でどうにでも出来る

そんな意識が、根強く残っていはいないでしょうか。

合理的配慮も、担任の認識や、学校の状況によって差があるのが現実です。

タブレットの使用は、書くことから逃げるためではありません。

学校指定と違う道具を使うことは、ズルではありません。

タブレットなどのICT機器や、自分の体にあった道具の力を借りることで、やっと学習に集中できる体制が整うのです。

ようやく、みんなと同じスタートラインに立てるのです。

問題が起こるかもしれないという考えから、

みんな使わない

もしくは

みんな同じ条件で使う

それが今の多くの支援の在り方。

でも、そうじゃない。

本来在るべき「みんな同じ」は、条件ではなく、結果ではないかな、と思うのです。

合理的配慮の申請を却下し、現状の「みんな同じ」を維持し続けることは、むしろ不均等な状況であるとも感じます。

検査は必要?

合理的配慮を申請しようとすると、必ずといっていいほど発達検査を受けるよう言われます。

確かに、その子に適した支援策を検討・実施するために発達検査を活用しない手はありません。

しかし、検査結果が出てから支援の必要性の有無や具体策を検討する、というのはあまりにも遅すぎると感じます。

検査は、いつでも気軽に受けられるものではありません。

予約が取りにくいのはもちろんのこと、共働き家庭では仕事の休みと病院の予約を一致させなければならないし、本人の心身の状態によっては受けに行くことすら出来ないこともあります。

検査は受けるにしても、配慮申請があった時点で、出来ることから速やかに配慮・支援が開始されることが望ましいのではないか、と私は思います。

みんな同じ

今の日本の学校で行われている学習スタイルは、読み書きに困難を抱える子供たちには大変苦痛を伴うものであると感じます。

一つの学習方法・一つの教材が全員に有効であるとは限りません。

みんな同じ教科書
みんな同じ道具
みんな同じペース

この「みんな同じ」は、ある種の呪いの言葉だとも思っています。

子供たちにプレッシャーをかけ、常に他人と比較させてしまう。

本人の努力だけでは解決できないことも、子供自身が「自分はみんなと同じに出来ていない…」と感じてしまえば必要以上に自分を追い込んでしまい兼ねません。

みんなと同じに出来る=素晴らしい
みんなと同じに出来ない=劣っている

そんな誤った認識を植え付けてしまうことさえあります。

もちろん、努力することは必要です。

でも、それは出来る範囲ですればいいのです。

必要以上に自分を追い詰めてまで、
学校に行きたくないと思うまで、
自分の字を嫌いになるまで、

やり込む必要があるでしょうか。

未来を担う子供たちのために、日本の教育も、そろそろ変革を求められているのではないかなと感じます。

なぜ「学校」があるのか
なにを「学校」で学ぶのか

なにを子供たちに知ってほしいのか
なにを子供たちに伝えていきたいのか

今一度考え直す必要があるのかもしれません。

きっと、私たち大人は、無意識に子供に押し付けているものがある。

「子供のため」と言いつつ、実は「自分の保身のため」や、

学校という「社会のため」の言動が含まれていることも少なくないと思います。

子供にだけ変わらせるのではなく、大人たちも一緒に変わっていくべきなのだと感じています。

最後に…

カラフルバードさんをご紹介させて下さい。

カラフルバードさんは、実際に読み書きに困難を抱えた子供の保護者が立ち上げた任意の団体です。

我が子のためにと試行錯誤の末に得てきた情報や資料など、実体験と共に詳しく掲載してくれています。

考え方や捉え方、ICT機器を積極的に取り入れた学びの方法など、学習障害ではないご家庭の方にとっても、参考になる情報がたくさんあります。

ぜひ一度ご覧になってみて下さい。

とはいえ、本来であれば、行政や教育機関がこういったサイト運営や啓発を行っていくことが望ましいのではないかとも思います。

今後、ディスレクシアを取り巻く環境の改善と、支援の輪が広がっていくことを願っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました