ご飯を食べる、自分の足で歩く、トイレで排泄する、友達や家族と会話する…
健康な時には出来て当たり前なこれらのこと。
でも、それが、生涯保証されているわけではない
ということを私たちはつい忘れてしまいます。
当たり前が、当たり前じゃなくなる世界、想像できますか?
今回は、母が脳出血で倒れた日のことを振り返ろうと思います。
運命の日
当時、母は千葉市内のアパートで一人暮らしをしていました。
私は、大網白里市にマイホームを建て、夫・子供と共に3人暮らし。
子供が3歳になろうかという頃、“その日”が突然訪れました。
2017年9月1日 13:52
私のスマホに母から着信が入ります。
しかし、私が少し気づくのが遅れ、電話を手に持った時に切れてしまいました。
ドラマだと、ここで胸騒ぎや嫌な予感が…という場面だと思いますが、まぁそんなものを一ミリも感じることなく普通に架け直します。
しかし、電話から聞こえてきたのは、母の声ではありませんでした。
この電話の持ち主のご家族の方ですか?
なぜか男性の声が聞こえたのです。
はい…私の母の電話ですが
どちら様でしょうか?
と尋ねると、想像もしていなかった答えが返ってきたのです。
〇〇消防署です。
この電話の持ち主の方が、道路で転倒されたようです。
△△病院へ搬送します。
ご家族も来てもらえますか?
消防署?!
救急搬送?!
転倒?!
頭の中にいろいろなワードが浮かぶ中で、とりあえず、「あ、はい…」と答えるのが精いっぱいでした。
ちなみに…と、あまり深く考えずに質問をした私に、更なる衝撃な事実が告げられることになります。
脳出血
私は「転倒」という言葉を聞いて、単純に「転んだ」のだと思いました。
なので、ケガの具合はどの程度なのかを電話口で尋ねますが、どうやら「転んだ」では済まされない事実を告げられます。
麻痺症状があるようです。
脳出血や脳梗塞の症状と似ています。
早急に処置が必要だと思われます。
脳出血??
脳梗塞???
状況が全く理解できず、電話を切った後もしばらく放心状態でした。
どれくらい時間が経ったかわりません。
恐らくたった数分だと思いますが、とても長い時間、時が止まっていたような気がします。
ふと我に返った私は、急いで病院へ行く為の準備に取り掛かりますが、当時娘は2歳。
救急病院で大人しく待てるはずがないことは明白でした。
おもちゃやおやつなど、とにかく思いつくものを手当たり次第に鞄に詰めました。
夫と、夫の両親に連絡し、各々が病院へ向かいます。
娘は、合流したら、義父が娘を外に連れ出して相手をしてくれることで話がまとまりました。
子供同伴で救急へ
途中、搬送先の病院から、到着時間の確認の着信があり、ついでに母の意識状態を質問したところ、
意識は、ほぼなくなりかけてます。
!?!?!?!?!?
ほ ぼ な く な り か け て ま す
というパワーワードに混乱しつつも、助手席の子供に目をやると、車内に流したDVDで楽しそうに歌ってご機嫌♪
あまりの温度差に、同じ時間を生きているとは思えませんでした。
でも、今思えば、子供がいたからこそ、取り乱さずに平常心でいられたのかもしれません。
一人だったら、不安で押しつぶされていたことでしょう。
救急外来で、担当医師より症状及び手術の説明を受けようとした時、問題が発生します。
娘が、病院の異様な空気と、白衣の男性を見て泣き始めたのです。
娘は自分が何かされると勘違いしたのでしょう。
最初は、泣いてるのを無視していたのですが、いよいよ体を反って大きな声で泣き出したので、娘は看護師に抱っこされて部屋を出ていきました。
わけもわからず母親から引き離され、更に泣きわめく娘の声が病院中に響き渡り、申し訳ない気持ちになりました。
この時、娘が発達障害ではなく、おとなしい子だったら…取り乱すことなくちゃんと隣で話を聞くことが出来たのだろうか、等と考えてしまったこともよく覚えています。
緊急手術
検査の結果、右脳からの脳出血であると診断されました。
出血量が多く、脳幹という重要な部分が圧迫されかけていて危険な状況でした。
手術をしても後遺症は何かしら残ることがほとんどであると告げられました。
手術が始まり、私たちが別室で待っていると、病院の職員の方が、母の手荷物を持ってきました。
見慣れたいつもの手提げカバンです。
洋服は倒れたときの衝撃なのか、救命措置の影響なのかわかりませんが、ところどころ破れて血が滲んでいました。
そして、買い物袋が2つ。
その袋の中には、パン、お蕎麦、冷凍食品や飲み物など、母が大好きだった食品がたくさん入っていました。
実は、倒れた日は晴れていましたが、翌日以降は台風接近に伴い天気が下り坂の予報でした。
腰の手術をしていたし、関節リウマチの影響で足首にも痛みが出やすかった母。
雨の日は外に出ない
という私の約束を守り、前日にまとめ買いをしたのだと思います。
帰ったら食べるつもりだったんだろうな…と思ったら、亡くなったわけでもないのに、涙が止まりませんでした。
でも、ここでも、娘の存在が私を支えてくれました。
何が起きているのかわからない娘は、別室でも好きに動き、おやつを食べたりしていました。
正直、悲しみに浸る余裕もなく、私は娘の相手をするしかありませんでした。
しばらくして、義理の父が到着し、娘を預けてようやく落ち着いて状況を整理することが出来ました。
でも、この時の私は、まだ知らないのです。
この先にどんなに辛い現実が待ち構えているかなんて…
まさか、手術をして命を繋いだことを後悔するなんて…
当たり前なんてない
もともと、母は関節リウマチや脊柱管狭窄症の手術を受けていたこともあり、転倒には気を付けるようにしていたし、いずれ歩行が困難になれば同居することも考えていました。
しかし、脳疾患で倒れて介護が必要になることは、全く予想していませんでした。
昨日歩いていた人間が、今日はベッドの上にいる。
しかも、もう手も足も自分の意思では動かせない状態で。
関節リウマチの定期受診では、毎月血液検査と毎日血圧も計測していました。
脳出血の主な要因の一つに、『高血圧』があるのですが、そこまで高い数値ではありませんでした。
健康診断を受けていても、
病院に通っていても、
日々健康に気を付けていても、
人間、いつ何が起きるかなんて本当にわからない。
健康に今日を過ごせることは当たり前なことではありません。
お酒やたばこを長年摂取してきても、暴飲暴食してきても、病院のお世話になることなく生きてこれた方もいるでしょう。
しかし、それは、体が丈夫なわけでも、耐性があるわけでもありません。
ただ、運が良かっただけ。
たまたま、病気にならなかっただけ。
今日元気だから、明日も元気でいられる保証などどこにもないのです。
命あれば明日はやってきますが、健康な状態で明日を迎えられるとも限らないのです。
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