ディスレクシア啓発月間/『きれいな字』じゃないとダメですか?字が書けなくなって3年後の変化。

娘は、読み書き、特に「書くこと」に困難を持っています。

去年もまとめたのですが、今回は、あれからどうなったかを振り返ってみようと思います。

娘の場合、一般的な読み書きに対する支援とはちょっと違うので、多くの方には参考にならないかもしれませんが、極端に文字が嫌いになるとこうなる…というケースとして見てもらえたらと思います。

娘について

入学して1か月で行き渋りが始まり、母子登校の後、不登校に。

入学前(幼稚園時代)から書字への苦手意識が強かったことから、学校生活や授業への拒否に繋がったことが要因の一つになったと考えています。

娘の状態

  • 読み
  • 書き
  • 計算
  • その他
  • 現状大きな問題はなし
  • 但し、音読は拒否する傾向有り
  • 文字数の多い本は疲れる
  • バランスが崩れる
  • 想起に時間がかかる
  • 書き順を気にすると書けない
  • 単純な数字の認識は問題なし
  • 見えない部分の数字を理解するのは苦手
  • 協調性運動障害
    粗大・微細
  • 視覚認知機能障害
    目と手の協応
  • 言語表現に困難有り
    言葉の想起が遅い

娘が不登校になった要因は様々ありますが、書字困難もその一つです。

娘は、入学して1か月で鉛筆を持てなくなりました。

自分の字を、先生や人に見せるのが怖くなったからです。

残念ながら、適切な支援を得ることが出来ず、心を守るためには学校へ行かない選択をするしかありませんでした。

不登校になってからは、学習へのアプローチは皆無に等しい状態が続いていましたが、今年から変化が見られるようになりました。

まだ心のアンバランスさはありますが、自ら勉強に取り組むようになってきたのです。

しかも、タブレット学習だけではなく、あれほど嫌がっていた鉛筆を使いドリルやプリントにも取り組んでいます。

徹底的に書かない

兎にも角にも「書く」ことへの拒否が強い娘。

文字に限らず、最終的には、お絵かきもしなくなりました。

勉強の遅れも気にはなりましたが、当時はあまりにも心身への影響が大きかったため、「書字」を含め勉強に関するアプローチを全てやめることにしました。

この時期にやっていたことは「触るグリフ」ぐらいです。

不幸中の幸いといいますか、娘が好きなゲームやYouTube動画は、小学生には難しい漢字が多用されたものでした。

教科書は開こうとしないけれど、漢字が満載のゲーム情報はなんの抵抗もなく受け入れることが出来ていたので、ならば…と、娘の「好き」をうまく利用することにしました。

ゲームしているだけ
動画を見ているだけ

ですが、それも文字に触れることが出来る「学びの場」だと考えるようにしました。

知ってさえいれば、読めさえすれば、インターネットで検索したり、文字入力で適切な字を選ぶことが出来ます。

また、いざ勉強を再開しようと思った時、全くゼロの状態から始めるより、読みが出来るだけでもスムーズなスタートがきれるとも思いました。

好きこそものの上手なれ

という言葉の通り、自然と読める漢字が増えていきました。

でも、やっぱり見ているだけだと字の細かいところまでは定着はしにくいようで、「坂/板」「日/目」「持/待」などの似ている漢字は今でも見間違えることも多くあります。

この「似ている文字の認識のしにくさ」はひらがなでも良く見られた症状でしたが、ひらがなに関しては、触るグリフでかなり改善されたと思います。

どう変化した?

小学四年生になった現在は、無事に、鉛筆を持って字を書けるようになりました。

ただし、あくまで「字を書くだけ」です。

字の書き順やバランスを気に出来る程の余裕はまだありません。

特に、漢字の書き取りに関しては拒否が強く残っており、書き直しなどの指導は行っていません。

ただし、線が一本足りなくて違う字になってしまっているような場合は、先生が赤線で書き足して、その赤線の上を娘が鉛筆なぞって直したりはしています。

娘の負荷が多くならないよう、いい塩梅で直しを入れてくれる先生に感謝です。

そしてなにより、どんな些細なものであったとしても、先生からの直しを素直に受け入れられるということは、娘と先生との信頼関係がしっかりと構築された証だと思っています。

好転するきっかけ

娘は1年生から支援級の情緒学級に在籍していましたが、3年生の時に、知的級に転籍したことで転機が訪れます。

知的級への転籍について

娘に知的障害はないので本来であれば在籍は不可能です。しかし、1年生の勉強から止まり学習の遅れが相当あること、不安の強さから学校内活動が制限され付き添いなどの一部支援が必要であること、クラス全体の環境などを鑑みて、学校側が提案して下さったことが経緯としてあります。

知的級の先生は、過去の発達検査の結果や不登校になった経緯から、娘の書字の苦手さが、授業だけではなく学校そのものへの拒否感を生み出していること、

そして再登校への大きな壁になっていることに気づいてくれました。

担任
担任

勉強は、鉛筆以外でも出来ます。

お母さん、心配いりませんよ。

初めて挨拶した時にその一言を聞き、やっと娘を理解してくれる先生に出会えた…と思えました。

少し話が逸れるかもしれませんが…

娘は、担任が変わったことが良いきっかけになりました。

しかし、担任が変わることは、読み書きに困難を抱えてなにかしらの支援を受けていた子供とその保護者にとっては、

「同じ支援をしてもらえるだろうか…」という精神的負荷が強くかかるものでもあります。

というのも、担任が変わる時に、それまでの支援内容がかなりの確率で引き継がれないという現状があります。

支援級でさえ引き継がれないことがあるのですから、通常級ではより多くの方が経験しているのではないかと思います。(引き継がれるのは、行動的に問題がある児童のケースが多い印象です。)

担任が変わる度に保護者が一から説明したり、最悪の場合、支援が打ち切られてしますというケースまであります。

担任が変わっても、それまでの支援内容がきちんと引き継がれ、切れ目なく適切な支援が提供されることが大切だと感じます。

書く以外の方法

知的級の担任が、最初に提案してくれたのが「テプラ」でした。

今時テプラ?

タブレットやパソコンじゃないの?

そう思う方もいるかもしれませんが、これにも理由があります。

娘の学校はクロムブックが配布されていますが、娘はローマ字入力が出来ませんでした。

また、現在はスマイルネクストが導入されていますが、当時はまだ導入されていませんでした。

娘の状態に適したデジタル学習の環境(準備)が整っていなかったことが大きな理由としてあります。

また、テプラなら文字入力が簡単で、シール貼りの感覚で楽しく取り組めるため、勉強への拒否が強い娘でも取り組みやすいかもしれないということも理由の一つです。

そして、これが見事にハマります。

まずは教科書やノートの名前欄に、自分の名前のシールを貼るところから始めました。

そして、その流れのまま、これまで絶対に手をつけようとしなかったドリルの読み問題に取り組み始めたのです。

担任
担任

これで作文だって出来ますよ。

と飄々と話す先生の姿に、頼もしさと安心感を覚えたのをよく覚えています。

テプラで作文なんて…

と大人の意識では考えてしまいますが、だからと言って、手書きを強要するのも違うと思っています。

実際、テプラで作文は非現実的だと思いますが、それが大変だと本人が感じるならば、その時にパソコンを覚えたり、また別の方法を検討すればいいだけなんですよね。

他にも、鉛筆でノートには書くのは嫌でも、チョークで黒板に書いたり、ホワイトボードに書くのは拒否が見られないということで、娘が黒板やボードに書いたものを先生がデジカメで写真をとり、学習の記録として残してくれたりもしました。

どんな方法でも、勉強に取り組む姿勢を評価しようとしてくれる担任に本当に救われました。

スマイルネクスト

今年から、スマイルゼミの学校版「スマイルネクスト」がクロムブックに導入されました。

今年の夏休みに、このスマイルネクストに毎日取り組みました。

算数

1年生から順番に取り組み、3年生まで一気に進めることが出来ました。

しかし、3年生の問題になると少し複雑な部分もあり、理解が難しくなってきたところでストップしています。

娘の場合、視覚認知が弱いので、図形問題などはもともと苦手分野です。

また、基礎がごそっと抜けており、自己流で問題を解いているところがあるので、どうしても単純な計算問題以外は躓きやすいです。

最近は週1のペースで登校することを目標にしているので、その時に、先生に教えてもらいながら問題を解いています。

国語

読みの問題や、選択式の問題はスムーズに取り組めましたが、漢字の書き取りはデジタル学習とは言えほぼ手付かずです。

スマイルネクストのシステム上、お手本通りに書けなかった場合、最大3回の書き直し指示が入ります。

2回目までに正しく書けなかった場合、3回目はなぞり線が再び現れ、なぞり終わるとその文字の学習は自動で終わりになります。

たった3回で終わりになるなら負担もなくいいのでは?と私は思ったのですが、

「出来ないならもういいです」と言われているような感覚になるそうです。

やっぱり上手に書けない…という現実を突き付けられ、それはそれで自分が悲しくなると言っていました。

大人が思うよりも文字を書くことに関して複雑な感情があるんだろうな…と娘を見ていると感じます。

多くの子供は、

下手でも3回しか書かなくていいなんてラッキー!

とプラスに考えてこなしていくようですが、娘にはまだ精神的に負荷がかかってしまいやすい状況です。

その点、ドリルの場合は、総合的に担任が評価してくれるので、漢字に関してはスマイルネクストではなく、ドリルで取り組むようになりました。

デジタル機器の選別

デジタル機器は、読み書きに困難を抱える多くの子供たちの力になってくれる頼もしい存在ですが、

クロムブック、iPad、デジタル教科書、読み上げペンなど、機器の種類は多岐に渡ります。

自分の子供にピッタリ合うものを親が探し出すのは、お金も知識も必要で、簡単なことではありません。

現状では、学校で一律に配布されているもので対応しなければならない部分もあり難しいとは思いますが、

本来は、その子にどんなデジタル機器が合っているのかを適切に見極めることが出来る“専門家”が、教育委員会なり、各地域、各学校に配置されることが望ましいのではないかと思います。

また、デジタル機器を導入した後、どのように変化したか経過をチェックすることはもちろん、成長に応じて使い方や使う機器の見直しも必要不可欠だと思います。

また、デジタル機器が全てを解決してくれるわけでもありません。

デジタルが適した教科、手書きが適した教科、一人ひとりで違うと思います。

日によって、書ける時もあれば、書けない時もあります。

子供の状態に応じて、臨機応変に対応できる環境が整うといいなと思います。

心理士との時間

不登校になった1年生から、毎月心理カウンセリングに通っていますが、この時間も大切な学びの時間です。

カウンセリングとはいえ、まだ低年齢ということもあり、基本はプレイセラピーです。

絵本やカードゲーム、言葉遊びなどを通して、遊びながらも文字と触れ合う時間を作ってきました。

4年生になってからは、カウンセリングの時間に文字を書く時間を作ったりもしています。

例えば、連想ゲームやしりとりを紙に書きながらする、という感じです。

もちろん娘と話し合い、それを心理士が適切に進めてくれてのことです。

娘にとって、自分の字は最大の欠点という認識があります。

どうせ書けない。
どうせ違うって言われる。

そんな考えから、人前で字を書くことを頑なに拒否し続けてきました。

その娘が、心理士の前で字を書けるようになったことは、とても大きな意味のあることでした。

心理士と過ごした数年間は、娘が、もう一度大人に心を開くきっかけをくれました。

直接勉強に関係するものではありませんでしたが、結果として勉強への意欲にも繋がりました。

「間違えた字を書いても大丈夫なんだ」

「崩れた字でも伝わるんだ」

そんな安心感を心理士がくれたことが、娘の書字に対する固い壁を溶かしてくれたように思います。

読み書きに困難を抱える子への支援

読み書きがうまくなるための支援

と考える方が多いと思います。

もちろん具体的な支援策は必要不可欠ですが、苦手な読み書きに向き合う子供の心は、

大人が考えている以上に傷つき、疲弊しています。

読み書きに対する困難が少しでも解消できるような支援と並行して、「心のケア」も大切ではないかと思います。

間違えたくない心理

失敗は成功のもと!

間違えてもいいんだよ!

と大人は簡単に言いますが、出来れば失敗したくないし、間違えたくもないという心理が働くのが人間だと思います。

ましてや、子供に関しては、失敗した時の適切なフォローが不可欠だと思いますが、今の文字学習は「失敗させっぱなし」のような感覚があります。

娘は、不登校になった当時、先生から赤ペンが入れられることが恐怖で仕方がなかったと後で話してくれました。

赤ペンで直しが入る時は、崖から突き落とされるような感覚。

字を書き直している時は、突き落とされた海で溺れているような感覚、だそうです。

もちろん、娘は崖から落ちることも、溺れたこともないけれど、どれだけ恐怖かは容易に想像できます。

学校に行く度に、字を書く度に、毎回そのような恐怖を感じるとしたら、「学校に行きたくない」となってもおかしくはないな、と私は思いました。

最後は、力尽きて海に沈むしかありません。

それが不登校の始まりです。

不登校になった時には、気力も体力も使い果たしています。

自己肯定感などないに等しい程に自分を否定し、現実に絶望し、

全てが夢であったらいいのにと現実逃避をする日々が始まるのです。

とはいえ、これはあくまで娘が感じたことであり、一つの例えでしかありません。

もちろん、先生方にそんな崖から突き落とすような意図がないことや、きちんとフォローして下さる方もいるとわかっています。

しかし、学校では、「先生」は子供にとって絶対的な存在です。

子供の字を必要以上に指摘することは、その子自身を傷つけるのと同じだけの威力があるとさえ感じます。

見本通りに整った字を書けることを目指すような指導は、例え国の教育規則に則ったものだとしても、

子供たちに失敗を避ける心理や行動へと繋げてしまい、結果的に学習から遠ざけてしまうように思います。

また、きれいに書けないこと、流暢に読めないことが成績や評価に直結することはあってはならないことだと思います。

勉強が嫌い!

勉強したくない!

その言葉は、一見するとワガママでやる気がないように思えます。

しかし、その発言の裏には、苦悩や葛藤が隠されていることがあります。

「やる気」以外の部分に着目する視点を持つことが大切ではないでしょうか。

勉強に対する子供の言葉と、行動の背景に目を向けることが、私たち大人には求められていると思います。

点数や成績に反映されていない努力に
目を向けてみて下さい。

心を削って勉強と向き合う子供がいることを
知って下さい。

読み書きが苦手でも、勉強を諦めなくていい教育環境が整っていくこと、

そして、全ての子供が、平等に、学びの機会と豊かな経験を得られる社会であることを願っています。

勉強が、心を削るものではなく
心を育てるものでありますように。

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「一人で悩まなくていいんだ」と思えるはずです。

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